にっさこ

猫の手を借りる日々。 おじいわんこの介護、地域猫活動、書道、作家活動。徒然なるままに。…

にっさこ

猫の手を借りる日々。 おじいわんこの介護、地域猫活動、書道、作家活動。徒然なるままに。かしこ。

最近の記事

音楽と、猫と、ホットミルク

気分が落ち込んでしまうことがあった。 そんな時にたまたま耳にした音楽 haruka nakamuraの『one day』 音色がうつくしいこの音楽を とにかくずっと流して、 猫たちを眺めて、 ホットミルクを飲んで。 とにかく、とにかく 自分をあたためる。 自分ひとりの力ではどうしようも出来ないのに、 自分が無力なことに落ち込んで 勝手にかなしい気持ちになっている。 みんなみんな おだやかに暮らせれば良いのになぁ なんで誰かが誰かを 憎んだり怒ったり、 なんでそんな

    • ケ・セラ・セラ

      最近、請求書の金額を間違えて 13,000円分少なく請求してしまい その後 (たぶん)お金を12,000円落とした。 「まぁ…誰かの命に関わるような失敗じゃなくて良かった」 と自分を慰めてはいたものの やっぱり落ち込む。 それを、こういうことは滅多にしないのだけどSNSでぼやいたら、「元気出して」と友達がスイーツ券を送ってくれた。 笑ってしまった。 もちろん良い意味で。 良い友達持ったな。 そいつはちょっと面倒臭いところもあるんだけど、なんやかんや小学生の頃からの付

      • その"もや"をどうするか。

        地域猫活動をしていると、 (いやどんな活動でもそうだけど) "もやっと"することが多々ある。 今日は良いこともあったんだけど、 もやっとすることもあった日だった。 この記録は、そのもやっとしたことを 書こうと思う。 さっき 知り合いがFacebookで上げていた投稿。 その知り合いが住む、マンションの管理会社からのお知らせのチラシの写真が載っていた。 『敷地内の猫を捕獲することになりました。 (途中は省略) 捕獲完了するまでは、捕獲器に手を触れないようお願いいたし

        • 今日も生かされている。

          世の中の色んなニュースを見て、 「私には何が出来るんだろう」 って毎回考える。 地域猫活動にその他諸々、 出来ることはやっているはずだけれど あまりに些細なこと過ぎて 「これ、本当に役に立ててるのかな」 なんて思ったりする。 私はただただ動物が生きやすい街づくりを目指していて毎日走り回っているけれど、 「あれ、こんなので足りてるのかな。もっともっともっと、走らないとダメなんじゃないかな」 なんて思う。 動物と人との共生を目指して動く毎日の中で 世の中では ちっぽけな私な

        音楽と、猫と、ホットミルク

          ベトナムの女の子。

          数年前から地域猫活動をしています。 今日の話は、先ほどのこと。 マンション敷地内にある、小さな公園にいつもいる地域猫3匹に会いに行ったところ ある若い女の子に、その猫たちがニャーニャーと鳴きながら後ろを付いて行っていました。 「あまり人懐こいタイプの猫じゃないのに、あら珍しい」と思っていたら、その女の子が私の近くで猫たちにご飯をあげようとしていました。 女の子はチラチラと私を気にしていた様子だったので 「猫ちゃんにご飯をあげてくれてるんですか?」 と聞くと 「はい」

          ベトナムの女の子。

          生きてるうちに恩返し。

          時々、すべてのことがありがたくて泣きそうになることがある。気持ち悪い?笑 ご飯が美味しいこと、 体が元気に動くこと、 働けること、 やりたいことをやれていること、 私の存在を覚えていてくれる人がいること。 どんな私であっても、私のことを待ってくれている動物たちがいること。 他にもたくさん。 無事に今日まで生きてこれたこと、感謝でしかない。 ちゃんと恩返し、出来ているのかなぁ。 私はすぐに頭と心がいっぱいいっぱいになって余裕がないから、きっと見落としていることや気付け

          生きてるうちに恩返し。

          いくつになっても悩みは尽きぬ。

          10代の頃、 30歳くらいになれば悩みなんてなくなるんだろうな~好きなものを好きなだけ買えるんだろうな~ 20代の頃、 30歳くらいになれば悩みなんてなくなるんだろうな~彼氏さえ出来れば幸せになれるんだろうな~ って本当に毎日思ってました。 33歳になった今。 悩みなんてなくなるどころか増える一方、悩むことだけに時間を費やせるならまだマシ、こなさなければならない用事が山積み。 恋愛してるからって幸せだとは限らない。 生きているだけでかかってくる税金の山etc… すご

          いくつになっても悩みは尽きぬ。

          明け方のつぶやき。

          あと1時間後には起きないといけなくて、仮眠するか、もういっそのこと起きておくかで悩みつつ、今に至る。 今月はだいぶと散財してしまった。 地域猫たちのご飯に、本に、帰省に、お習字教室の生徒との日帰り旅行代に、日々の食費に…。 来月からまた、身の丈に合った生活をしよう。 でも、こうして時々自分の好きなことやものにお金を使えて、なんて幸せなんだろうと思う。 仕事があることに本当に感謝だし、それも、仕事の全てが勉強だし、学びながらお金を頂けているなんて…この上ない幸せ者だ。

          明け方のつぶやき。

          人生34年目。

          昨日、34歳になった。 34か、34。 はやいような、まだまだこんなもんか、 と思うような。 まだまだ至らないところだらけで、 失敗も多く、 悩みも一向に減りません。 ただ不思議なのが 年を重ねるにつれて 「失敗こそ学び」 と思えるようになった。 一昔前は、 失敗したら一生の終わり 人に嫌われたら最後 みたいな考え方だったけど、 何があったのかそんな考え方が だんだんと薄くなっていく。 自分の身の上に起こる全てのことが学び。 こう思えてしょうがない。 あとは、

          人生34年目。

          大人になれない。

          いつからか、お誘いされるのが苦手になった。 なんて贅沢な"苦手"だとも思うし、 私なんぞを誘ってくれること 本当に本当にありがたく思ってはいるんだけど なんでだろう。 誘われると、 ちょっと怖くなっちゃうんですよね。 約束を守らなきゃ 楽しい会話をしなきゃ 待ち合わせに遅れちゃいけない (結局遅れる) 笑っていないと 相手をイライラさせないように なんて、勝手に考えてしまうんです。 それで疲れてしまう。 加えて地域猫活動もやっているので、 (猫の体調など)その

          大人になれない。

          今日も、明日も。

          久しぶりの投稿です。 こんなに細々すぎる投稿にコメントを下さった方、本当にありがとうございます。嬉しいです。 地域猫活動のことのコメントを拝読して、「あぁ、私の知らないどこかで、今日も街の猫たちと暮らしている人たちがいるのだなぁ」と勝手に心強く思っています。 もちろん私も、今も地域猫活動を続けています。 地域猫活動をやっている方々のSNSを見ると、現状に怒っていたり悲しんでいたり。それとは反対に、ちいさな命の偉大な力に感動したり。 「猫と共に同じ街で暮らす」 という

          今日も、明日も。

          それは本当に必要なのか。

          便利、速い、省略。 こうして現代の人々は、そういう形式と隣り合わせで暮らしているけれど 便利でも、速くても、結局は「便利にするためにやらなければいけないこと」「速くするためにやらなければいけないこと」をこなさなければいけない。 だから結局、やることが増えたりもする。 それが原因で、大切なものを失ったりもする。 本当に大切なことに、気付くことが出来ないこともある。 便利、速い、省略。 大切なものを失ってまで、優先しないといけないことなのだろうか。 便利、速い、省

          それは本当に必要なのか。

          芸術で生きる。

          やらなければならないことは恐ろしいほどあるのだけれど、今日はなんでもない日。 こうやってゴロゴロしてnoteを書いている今だって、〆切をとうに過ぎている案件がいくつかある。 だめだめだなぁ、私って人間は。 けれど、生きてりゃ何かしら希望はあるさと反省しないタイプの人間です。 こんな人間にいつも付き合ってくれている人達には感謝しかない…。 だから、いつもお礼がしたいと思っている。相手が喜ぶことはなんだろうと考えている。(その前に〆切守れ) 今年の目標は 『余裕を持っ

          芸術で生きる。

          本当に毎日考えている。

          最後に記録を残してから、しばらく間が空きました。 愛犬がこの世を去ってからは、子猫が我が家へやって来たり、5歳の小さな男の子にお習字を教えることを始めたり、本当に、本当に色々な環境の変化がありました。 愛犬を亡くしてから約3ヶ月。 特に何も出来ていないはずなのに、もう毎日が目まぐるしく過ぎていき、この3ヶ月が3年くらいの感覚でいます。 小さな絶望がいくつもあったけど、その次にやってくる小さな幸せに救われ、その繰り返しで今日まで生きてこれています。 そんな繰り返しの中

          本当に毎日考えている。

          ありがとうも言えていない。

          先日、愛犬が天寿を全うした。 17歳と5ヶ月だった。 愛犬は今年のはじめから、寝たきり介護だった。 彼がいなくなってから、確かに介護をする必要がなくなって、楽になったと思う。 けれど、何か足りないというか 何もせずに1日が終わったことに申し訳なさを感じるというか、 「楽になった」と思ってしまう自分を許せないというか。 あれだけ彼に助けられたのに。 あれだけ彼に八つ当たりしても、彼は変わらず私を受け入れてくれたのに。 あれだけ、彼は私を救ってくれたのに。 彼の死も

          ありがとうも言えていない。

          外猫は強運の持ち主。

          どこかで聞いたことのある言葉。 『外猫は強運の持ち主』 産まれてからワクチンもせず母猫の母乳から貰った免疫だけで育ち、暮らす場所はカラスやイタチなどの外敵だらけ。 人間社会はコンクリートジャングルだから、夏は想像を絶する暑さだし、豪雨なんか降ろうものなら、水捌けが悪いからどこもかしこも雨水で溢れる。 ケガをしても体調を崩しても、医療にも掛からず、時間薬と自力で治す。 その上、毎日ご飯が満足に食べれると保証されている訳でもない。 出会う人が悪ければ、酷くぞんざいな扱

          外猫は強運の持ち主。