幸せは比較しないと分からない

幸せは幸福ともいう。
「福」という字は衣食住をあらわす。

この衣食住が欠け目ない状態を福という。
反対にこういう食べるものがない着るものがないとなると不幸な状態。

幸せという字は手錠の象形文字である。
手錠をかけられて幸せというのは変態。

幸せの文字の由来は
昔、中国の北方民族たちは戦いに敗れたら殺されて当然だった。
ところが手錠にはめられるということは殺されておらずに捕虜になった。
自分は殺されるよりもまだましということで
他の人に比べたら幸せということ。

たとえばテストで60点とった。
この60点がこれだけでは喜べないということ。
周りの人が80点となる。
こうなると喜べない。

他の人が4点とか8点とか、
そのテストが10点満点としか思えない点数だったら、
たちまち喜べる。

みんな点数は何点、偏差値はいくつとか
そういう価値観でそだってきた。
あなたのいっている学校はあの学校より良い悪いとか
そういう価値観しかない。

ビアスという人の書いた悪魔の辞典という本のなかには
「幸せとは他人の不幸をみてあじわう快感」
というようにかかれている。

高校時代の自分より成績が良かった人が
慶応の医学部にステーンとおちる。
そうなると
「残念だったな。試験は水物だから」
といいながらどこか小気味よい。

逆に自分より成績悪かった人が理Ⅲに受かる。
「受験番号見間違えたんじゃないのかー!」
となる。

また彼女とオーストラリアにいった写真を友達が見せびらかせにやってくる。
そうなると胸糞悪い。

逆にその一週間後に
「おわっちゃんたんだよー」
と言ってくる。
すると気味がいい。


私の高校時代の友達で成績優秀、
スポーツ万能バスケ部キャプテンがいた。
女の子にモテモテ。

しかも女の子から弁当をもらっている。
私は動物にえさをあたえないでください
と張り紙はったがだめだった。

しかもその弁当には海苔でLOVEと書いてある。
Oってどうやってきったんだ。

こいつ弁当持っているのに!
5つも6つももらう。
そのうちの一つをもらう。

私はサッカー部だった。
当時サッカーはマイナーなスポーツ。
黄色い声援の代わりにこわいコーチがいた。


浜崎あゆみは「人の幸福をみると不安になる」といっている。
「えっ。きみは司法試験受かったの?」
「国一受かったの?」
「公認会計士になったの〜」
となるとたちまち不安になるということがある。

この中で理系の人ある?
工学部にいったとすると大学院にいって、修士、博士、といって
そのあとどこかの大学に講師となったり、
助教授、教授となったりする。

これはどうやってきまるかというと
研究成果だけではきまらない。
これは上司の評価によってきまる。

昔、広島大学の工学部長が殺されたことがあった。
密室殺人、ミステリー。

同じ学部の講師が逮捕された。
どうして殺したかというと
研究が最終的に学会で認められるかどうかということは
学部長によった。

また、この人は物性物理というのをやっていた。
これは今ははやらない分野。
昔ははやっていたが、いまは、はやらない。

よって自分より後から入ってきた人が自分を追い越していく。
同期の人たちはずーっと先に出世してしまった。

決してサボっているじゃなくて、頑張っているのに評価してくれない。
しかも大勢の前で学部長に
「あなたの研究っていつ聞いてもつまらないな〜。
何をやっているんだ」
とけちょんけちょんにいわれた。
そうなると我慢ができなくって
その学部長をあやめるということになる。

かくして幸せというのは人と競争させられることになる。

あなたは勝ったのか、負けたのか。

比べる対象というのもすぐに色あせています。

ある人を追い抜けばまた別の目標を目指すことになる。
中学のとき一番だったひとが、高校で真中ぐらいになる。
競争すれば競争するほどきりがない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?