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あの日暮らした街

偶然の封筒


部屋の片付けをしていた今日。
さすがにどんどん大きくなるこどもたちの要らないものが増え、長い間閉まっていたものから処分しようとロフトを片付けていたら社会人のときに使っていたリクルートバッグが出てきた。うん、これは片付け。
と、念のため中もみるか、と手を入れたファスナーつきの内ポケットから2通の封筒が出てきた。

わたしの生まれて初めて契約した、賃貸契約書、と社会人1年目の会社の保険証のコピー。

しかも見事、偶然にもほどがあるがなんと契約した日から21年目だった。
21年前の4月3日
わたしは一人暮らしのための部屋の契約を駅前の不動産と交わしたらしい。
東京都内の私鉄の駅から徒歩7、8分ほどの1K、16.53平方メートルだそうな。


住みたい街は?


当時東京都下の山側エリアで育ったわたしはギリギリまで告知されない配属通知に備え、年が明けてから色んな町を見に行っていた。

可能性のある3ヵ所の配属先はまだどこになるかはわからない。かといって始発通勤もあったり、終電帰宅もありうる職業だったため、なるべく時間がかかりすぎず、そこまで賃料の高くないエリアはそうそうのんびりまっていられないし、と先にあちこち家を見に行った。

自分がなじみ深いのは東京の真ん中を走るオレンジ色の電車路線だったから、そこを中心に色んな街の不動産やさんに入って物件を見せてもらってイメージを膨らます。

ここは若い人が多そう、だけどあまり予算内で暮らせる部屋がちょっと安全な感じがしない。ここはファミリー層が多く、駅からも家族向けのマンションが多くて賃料も悪くない。だけどちょっと勤務エリア的に離れすぎてるかな?夜間や朝は人通りがなさそう。

そもそも初めての就職で初めての一人暮らしでどうやって家を選ぶのかも、なにを基準にしたらいいかもわからず、とりあえずまずは感覚をつかもう、とみてまわった。

住みやすいって、どんなかんじかな。

自分の育った町も好きじゃなく、かつて寮に入った専門学校の町も決められていたから住んでいただけで結局そこに就職を考えて残りたい、とはなれなかった。
ここじゃない、いまいちしっくりこない、を繰り返し、そして3月。
いよいよあと1ヶ月だ、という頃に配属通知が着た。

まさかの海岸エリア。

これは想定外。自分のすんでる町に一番近い配属先があったので、最初は実家から通うことになるのかな?と、漠然とそこに配属されるかと思っていたのだけれど、、これではオレンジの路線だと厳しい。
急遽海エリアに近い私鉄で埼玉に上る方も、神奈川にくだる方も両方検索路線にいれた。

すると小さな街のローカルな不動産やさんの紹介物件が大手物件検索サイトに出てきた。
早速その街を調べたらどなたかが個人でやってる町の紹介?応援ホームページにもたどり着いた。そこにさっきみた物件を扱う不動産屋さんの紹介もあり、なんとなく名も知らぬ不動産やさんというわけではなさそうだ、と安心して実際に物件をみたい、と申し込みし、いざいってみよう、と。

2002年3月


わたしはあの街に降り立った。育った家からだと2時間近くかかって、駅前の老夫婦がやる不動産屋さんにたどり着いた。

物件を案内してもらう道中で出身を伝えたらどうやってここを知ったの?ととてもびっくりしていた。それくらい小さなローカルな不動産屋さんだったらしい。
そして不動産屋さんにとっても、なかなか珍しいエリアからのお客さんにあたるようで、せっかく遠くからきてくれたからたくさん、みましょう!ととりあえずネットでみた物件と、他にいくつか見せてもらった。
朝から歩く、案内してもらったこの街はとても賑やかな商店街が長くつづいていて、駅から離れてもずーっと店や、街灯がある。
銭湯も八百屋も魚屋もあってみんな呼び込みしている。
なによりその一店一店に、人が入っていってる。
駅からの道も真っ直ぐつづいてるものだからなんとなく離れてもそう遠く感じない。

住宅街育ち、買い物は親の車でいくスーパーマーケットしか体験したことないわたしには個人店のたくさん並ぶこの街はとても強く心ひかれ、こんな中で暮らしたいな、と浮かんだ。

そのなかで予算も住まい的にもよさそうだったところが、いまはまだ人が住んでるけれど月末には出る方向ときいているから、と。

それで不動産屋さんのお店に戻り、今後の流れを説明をうけていると、なんと話してるときにその住人が訪ねてきて引っ越そうと思っていたおなじような一人暮らしの女性が次の家が見つからないのでやはり再更新したい、と変更の手続きにきたとのこと。

ああ~残念!!!さすがにいくつかみせてもらった他のでいいや、といえるのはあっちがよければこっちを妥協、となるのがこの予算だったので仕方ない、残念ですがタイミングですものね、とあきらめて帰ろうとしたら、奥様が店主さんに、ねえ、せっかくきてくれたのだからもう一件あそこを紹介しては?とおっしゃってくれた。

その物件はわたしの予算よりだいぶオーバーしていたので最初から紹介案件にはいってなくて、だけれど勧められた店主さんも、いいかも、みにいきましょう、と連れていってくれた。
留守がちな先住人に左右に挟まれた中部屋だった。片方は近くの大学に勤務する方の夜帰れなかったときに泊まる部屋だから、ほとんど隣はいないから早朝夜間に動く可能性のあるわたしにちょうどいいんじゃないか、と。
とりあえずみせてあげたら、と勧めてくれて見に行くと、収納ベッドと壁収納がついている1Kの部屋。

とても素敵で駅からの距離もずっと明るい道だし広さも収納ベッドのおかげで広く使えるし!一番気に入ってなんなら最初の物件より即決したいところだけれど、予算が、といったらせっかく遠くからきて途中まですすんだ契約がなくなっちゃったから値下げしてあげるわ、といってくださり五千円ひいた家賃でいい、といってくれたのだ。

その値段すら三千円オーバーだったけれど、元の値段考えると八千円オーバーした部屋に五千円引きで入れるんだからラッキーだった。この部屋なら、この町で決めたい、そう思って契約を交わした。
書類の都合や当時は親の連帯保証がいることや、実際の引っ越しは研修が終わってからになるのでそれで契約をかわしたのがこの4月3日だったのだろう。

初めての一人暮らしの町

それからほどなく親の車で引っ越しを済ませてからは、洗濯機をこの商店街の電気屋さんに買いに行ったり、100均で雑貨を揃えたりした。
初めてのお給料が入ってからは冷蔵庫もその電気屋さんに買いに行った。
物件を決めて不動産屋さんから帰った夕方、駅近くの焼き鳥屋さんのいい匂いに、暮らしたらまず買おう!と思った願いも叶えた。

初めて暮らす町は駅からつづく長い商店街の街灯が煌々と明るかったので一人帰る心細さもなかったし、なによりうちの近所にあった銭湯が0時近くまで営業していたからなんとなく人がいる安心感があった。
朝の始発出勤は辛かったけれどそれでもやっぱり街灯がたくさんある商店街の駅までの道に励まされてなんとか通勤した。
休みの日はその通りにある歯医者に通い、入ったことのない喫茶店は友だちと行き、初めて飲む銅のカップに入ったアイス珈琲を体験した。
途中仕事も変え、そこの街のハローワークにもお世話になった。

そんなあの町の大好きだったのは人が住んでいてその人らをたくさんみれたことなのかな、とおもう。なんとなく近い距離な生活感。

酔っ払って帰った日も、仕事に行けなくなって定時上がりせざるを得なくて罪悪感をもった日も、変わらずに商店街の人々やそこで住む人らのやりとりを眺めながらなにかを勝手に教わった。
暮らすとはつづくこと。つづくんだからまあ無理せずに、みたいな。

図書館も歩いていける範囲にあってそれもよかった。

そして三年程暮らして引っ越したけれど今も忘れられない大好きな町です。
少なくともわたしの人生の故郷だな、とおもうのです。

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