見出し画像

理想と現実の分離(無自覚の発見)

昨日はレモンメレンゲパイを焼いた。
いいレモンを安く手に入れられたんだけど家の中にそれが好きな人と苦手な人がいるのでどのタイミングで作るか出しかねていたのだ。

先日のすれ違いがあって、お母さん仲間とのLINEで愚痴を吐いたらみんなが色々各家庭の事情をいれてくれた。
まずはそんな風に話せる&聴いてくれる関係性があってうれしいなー、13年目な付き合いにしみじみ感動を味わいながら昨日もキッチンがわたしの時間だった。

その会話の中でどこも色々ある、のをまずひとつ知るし、皆、大人手前程の我が子という第3者から
「そうはいっても2人とも似てるよ」、と言われてたり、それぞれの思うところあって確かに!となるようで、
夫婦は似てる
互いに鏡
などの発言のち、最期まで2人で幸せにやっていきたいじゃん、とかいたわりあうしかない、的な話に落ち着いた。

みんなすごい!
と思いつつ、この10数年で、もとの大きな育児仲間集団の中でみたら結構離婚を選んだ仲間もそこそこいるのでここの会話をしてた友達たちはとくに夫婦関係も誤魔化さず向き合うほうなんだとおもう。

そんなわけでこれからの話が出て落ち着いたとき、わたしだけ納得いってなかった。ペースは違うし、せかせかほんとされるのもうやだ!なのにこんなの、つづいてくの!?
みんなそれで納得できたの?と思ったらわたしは返事が打てなかった。

だけどみせてくれたもの

みんなのLINEを読みながら作りながら思うまま考えてた。
(いまの自分にとっては夫)やなやつじゃん、やなやつと話そうとしても話きく態度じゃないし(戦闘体制で挑まれるというか)、だから何?とかいうじゃん!こんなやつ和解できない!ておもわないのかなあ、て思ったけど、みんなも別に年数重ねて相手も態度変わらないし、自分も納得いってないし、平行線なエピソードも続いてて頭に来てない訳じゃなかったのは、つたわってきた。
でもそれでも、歳もとったし、自分も相手もヨレヨレ、労りあうしかないじゃん、とかそぞれなりにそのゴール?未来への歩みを受け止められてる違いもそこにあって。
なんなんだろう、と思ったら、結局自分だけの物語を歩いてくしかないよね、て話が出た。わからないわたしはめちゃめちゃ食いついて、なんで?どうして?どこに納得するの?とした。合間合間に問いかけ、そして答えというなの雑談をもとめ。。

理想はこうだけど。

結局レモンパイを食べるお茶時には自分の答えがみえないまま家族で食べ、食べ終わったあと2階の部屋に上の子のパソコンを使って2番、3番がゲームをしにいったとき、残ってた1番目、夫、わたしで話が出た。

夫〉みんなリビングにいなくなるよねー
私〉上はそういう歳じゃないじゃん
1番〉パパが寂しいだけでしょー末っ子は楽しそうだよら、(私の自覚として)かまってるし、私たちも別に話にいれてるし、現に今もいってるじゃん?部屋に。
私〉自分が1人っこだったからってしつこいよ。
夫〉でも3番目可哀想じゃん、実際。オレのとこ来るのってもっとたくさんじゃれあって遊びたいわけでしょー、だからなんとか(3番目があそびたいのはきょうだいなんだから、かれらがもうすこしあわせてくれないか)ならないかなー、て。
私〉だからって上の意思を無視して構えってのは違う
その後やんややってたら
聞くに耐えられなかった1番上の子が
1番〉あのねー、私たちやだったら態度だしてるから。できるときしか応えません。
パパは理想をいってるだけ、
そしてママは私たちの願いとおしすぎ。理想をもとめなさすぎ。意見を押し付けないようにしすぎるでしょ。でもパパには大人だからそれを求めるでしょ、それが頭来るんだよ、きっと。

夫〉そうそう!ママしつこいんだよ。問題起きてないんだからいいじゃんそれで。

はあ?!?わたしかよ!!

理想を求める夫を黙ってみてられないのはわたし!?···うん、わたし、か。わたしだなあ。
こどもたちは言われても困ってなく、夫は問題と思ってなく、わたしだけこんな、押し付ける人間やだ!!てなってる??

え。でもやじゃん、ペース守んないやつ、とか思わないの?
と思ってたら。

私の中にあったのが色々手伝えだの、あれだこれだと制限うるさい家でそだったからこそ、本人の自由が尊重されること、に重きをかなり置いていたようだ。
12歳でこどもの権利条約を知り、なんてこと!?1人の人として扱われてない!!と気づくくらいに 笑

そりゃ、ー人一人がなるべく快適で、個人が尊重された家庭空間であってほしい。それは私の理想。

理想と現実。

お茶の片付けをしながら自分が知らず知らず求めていた、(とにかくやだったから制限だらけの育ったじぶんの家庭のようでなく)こういう家庭であってほしい、そのためには夫にはよくあってほしい、父としてキャパをもってほしいし、わたしも子どもの理解者でありたい、いたい、と高みをみすぎてたのかも、とたしかに気づいた。
それはみんなのLINEでいってた結局自分だけの物語を歩いていくしかなくて、につながって、私の中で、わたしは子どもに押し付けないことが理想的だから、夫みてるとペースを無視すんな!尊重して生きさせたい、生きたい世界観と、
1人っこゆえに末っ子に肩入れしてさみしくないためにみんなあわせて!を求め、家庭は1ヵ所に集まろうよ、みんなみようよ、を求める世界観を生きるむこうとは相容れるわけもなく。

確かになあ~。向こう(夫)からみれば個人の尊重をするとバラバラであわせる気がなくて、尊重をしたらまとまらないだろ、片付かないだろ!いちいちきいてたらまとまらないだろ!て気分にもなるねえ。
ついでにいうとわたしの中の夫婦は大人なんだからこどもを尊重し、大人だからすこしくらいお前も犠牲になれ、が入ってない訳じゃない。当然それは求めている。

しかし夫はこどもの位置にいた、ずっと。頼りがいがあって結婚したとかなく、我が子になぜパパにしたの?ときかれる程度にこどもたちにもパパはこどもだから認定されている。そして小さい頃のこどもにとってはめっちゃ遊んでくれる人。いつか追い越してって、みんなパパまたいってるよー、もういいって、と1人、2人と通過していく。

そんなだから我が家の永遠のピーターパンとよばれてる人に求めてるのだ。そりゃ、時々なに大人の癖にきれてんだ、あんた?と思うようなことがあるわけだ。

自分なりに個々が尊重され、だけど家庭は社会の原点だから時にはただしく機能させましょうよ、は教えてるつもりだからそれで十分まわる、とおもってたけれど誰かしらが我慢するジレンマは産み出してないとは言えないわけで。
夫からすれば末っ子がこの家のペースの我慢をさせられてるようにみえるのだろう。
(あとたぶん俺すげー我慢してる!て夫はおもってるとおもえてきた 笑)

気づけば犠牲をかってでてる部分もある

そんなことに気づいたら、夕飯の用意で気づいた。
ママ、これやって。はいはい。
(作業中)
ねー、ママ、これお願い。
うん?あー、はいはい。
(まて。わたし今頼まれてこれやってるのにこっちもわたしがやるの?)

···いや、これやってからでいい?
あーぜんぜんいいよー!あとでよろしく!

と、言われたけど結局優先順位を変えてしまう癖があることに自覚した。
そしてそれが向こうにとって
ついでにさ、だったり、できるときでいいから、で投げてることも。
みんな投げすぎ!ていったら、
「やだったら断るでしょ、ふつう」
「やってんだからいいのかとおもうじゃん」

断る···か?頼んでくるんだからなんかほかのことで優先したいことがあって困ってたり、とかじゃないの?

そう。前提が違うのです一人一人。ちなみに1番目はやだったらいうし、頼んでやってくれんだからラッキー、断られたらはーい、位でなげてくるらしい。
2番目はそれをみて育ってるからやってくれるのはありがたいなあ、と思いながら自分も自ら気づいたら動くけど、基本はやってもらえるとうれしー。うれしいから自分にできることはやる。できないことはあとの人頼む派。
3番目はやる!やりたいことはなんでもやる!!そのためにやらされることはしたくなければまわりにたのむ、そしてつかえるものは全部使う!!
三者三様、そだてたようにそだってます 笑

そこに響く言葉。

そんなわけで夜、気づいたこと(気づけば頼まれ、頼まれてることにこたえていくうちに自分の優先がとけていく的な)をみんなに打ってたら、そうそう、それ!と共感を得た。
やるのがいやなんじゃない、自覚して、というのを、わかってほしい、と。
みんなあるらしい。そしてそれをはっきり言葉にしたり、言葉にしたけど戦闘体制にはいられて俺だって!となったよ、などなど。
どれもこれも納得で、つまり言いたいことがあるうちはむこうにも聞く耳がないのだ。
なるほどー!!
そしたら1人がいってくれた逃げる男と追う女、という心理モデルの話を引き合いに出してくれた。

すごく納得がいったし、友人の、だから何?ていわれるとら傷つくよね、という共感に、そうなの、夫婦なのにだから何?はない、、とほんとは思ってた自分がいたことにも、気づけた。
夫婦は難しいわね、ほんと。
それでもみんなのやりとりのみせてくれた、
理想と現実、そして平行線ながらもどこの夫婦も試行錯誤しながらやってってるよ、なLINEを読み直したことであー、、みえてきた、そうだね、と納得いったのでした。

結婚19年目。おおきな嵐はなくてもやっぱり男女はわかりあえない前提で生きてくしかない、けれど絶望でなく、理解でもなく、そういうもんだ、とただ受け止めるのです。

よし、今日は朝早く起きたから書ききった!送信っと。