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ナナのリテラシー

鈴木みその『ナナのリテラシー』はとても面白いマンガである。
そもそも、鈴木みそのルポ漫画はいつも面白い。
私としては、一番好きなのはゲーム中毒だった頃の『週刊ファミ通』の連載されていた頃の『おとなのしくみ』だが。

『ナナのリテラシー』は全3巻、コミックビームで連載されていた。
2013年頃の漫画である。

女子高生のナナが、天才ITコンサルの会社にインターンとして働く物語だが、1冊ごとに語られる物語が異なる。1巻は、作者の鈴木みそをモデルとした漫画家が電子書籍を自分で発行する話、2巻は新旧天才ゲームクリエイターの対決、3巻はマンガ業界のアダルトなどに関しての規制の話、である。

やはり1巻が一番である。なにせ、作者本人をモデルとした漫画家の起死回生の話であるから。

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鈴木みそ吉先生は、過去の自分の作品を電子書籍として販売する上で、様々な困難に直面する。それは、まだ電子書籍が黎明期にあたる時代(2010年代前半)だったからである。
同じく出版ものの漫画、『重版出来!』においても、電子書籍の会社を立ち上げた人々は、散々煮え湯を飲まされたが、ついに俺たちの時代が来た、というシーンがあった。

漫画は、完全にデジタルに移行した。

2020年の紙のコミックスは売上2706億円に対し、電子コミックが3420億円、かつ伸び率は紙が昨年対比13.4%増に対して、電子が昨年対比31.9%増と、明らかに電子のシェアが増えている。全体の6000億円のシェアを、紙2000億:電子4000億に来年にはなるのではないか。
漫画がデジタルに強いのは、若年層が多いのも理由になるだろうが、小説も早晩そうなるだろう。

今は誰でも発信ができて、紙の書籍はお墨付きがある程度担保された権威でしかない。これに憧れているのは、やはり中年層以上だと思われる。
内容が大事なのだから、電子だろうが、紙だろうが、どちらでもいいのである。紙の本は、今後高価な特装本などに限られてくるのではないか。
これは、映画にも言えることで、もはや映画館は必要なのだろうか。映画館は今回のコロナ禍で凄まじいダメージを受けたが、配信サービスは加速度的に顧客層を伸ばして獲得している。
映画館も、特別な体験の場所として、より刺激的に、より大作志向の作品のみを取り扱うようになるのかもしれない。
例えば、クリストファー・ノーランやドゥニ・ヴィルヌーヴは配信でのみの映画というのにNOを突きつけているが、彼らの作る大作には、たしかにそれなりに音響や環境が必要だ。だから、そういった特別な体験を約束できる映画監督にしか、劇場ので公開は許されなくなるかもしれなくなる。

ナナのリテラシーにおいて、鈴木みそ吉先生は自らのライブラリーを電子化し、全部PDFにしたり色々苦労するが、最終的に毎月300万とか200万とか印税が入る状態を数ヶ月経験する。
ある種、パイオニア的な稼ぎがあるわけだ。今はもう電子でもパイの奪い合いが始まっているし、システムが整備され制度化されると、制作者の旨味は吸収されてしまう。
そういうものの繰り返しで、例えばメタバースであるだとか、MRであるだとか、そういう新しいものにいち早く参戦することはリスクを伴うと同時に、大きな恵みが与えられる場合がある。

荒野で御馳走を見つけるか、それとも安全な牧場で草を食み続けるか。
それは永遠の命題であるが、そのような話がシンプルに描かれているため、この漫画は面白い。
然し、あとがきには打ち切りとあって、やはりなかなか漫画業界は厳しいなぁと思うばかり。


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