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きれいなきれいなシュトロハイム

先日、アメリカのFlicker alleyから昨年発売された海外版の『Foolish wives』、即ち『おろかなる妻』のブルーレイが届いたので鑑賞した。レストア版である。

このレストア版は昨年発表されたもので、ガチで、とんでもなく、美しくなっている。
レストアとは基本的にはアナログ作業で、非常に大変な労力を注ぎ込んで、フィルムの傷などを消していく、途方もない労働なのである。
めちゃくちゃ画面が綺麗である。高精細である。恐ろしく、美しい。

さて、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム監督は1920年代にハリウッドを代表し、かつ伝説的ともいえる監督である。

伝説になった理由は、その藝術性、退廃性、そして、完璧主義ゆえの衝突と作品の未完成などにより、である。

彼はその出自も独であり、Vonフォン、つまりは貴族を称して映画界に現れたのだが、基本的には嘘であり、ただの平民である。
然し、彼は藝術家として1番重要な、精神的な貴族なのである(これは重要であり、私もまた精神的貴族であるから)。

シュトロハイムに関して、彼は9本の映画を撮った。然し、その9本のうち、完全な形の映画というものは、ある意味一つもない。

辛うじて2本、『アルプス颪』と『メリー・ウィドウ』だけが比較的完成形として残っていて、あとは未完成であったり、当初の想定よりも遥かに削除された不完全版なのである。
それは、役者との衝突、完璧主義すぎるゆえの制作費超過、モラルを逸脱した変態的なシーンの撮影(彼は足フェチである)など、キワモノの極みのようなスタイルだからだ。

以下がその運命である。

1作目『アルプス颪』…完成。監督、主演作。

初監督作にて主演作。原題は『盲目の夫』。『愚なる妻』と同様、妻への無関心で怪しい男が入り込む隙を与える。シュトロハイム演じる間男が人妻に迫る!セット撮影が当たり前の時代にロケ撮影を敢行しまくるなど、リアリティをこの頃から追求していた。

2作目『悪魔の合鍵』…完成。監督作。フィルム焼失のため鑑賞は不可能。

完成したもののフィルムは消失。現在は鑑賞することは永久に不可能な作品。アメリカ人夫妻がパリに行き、そこでまた人妻がパーティーやお洋服を買いまくり、借金でカラダを……。

3作目『愚なる妻』…完成。監督、主演作。※然し完全版ではない。完全版はフィルムジャンクのため鑑賞不可能。

現在観られる最長版は2時間20分ほどだが、最長で6時間24分ある。無論、今はフィルムもないため観る手段はない。初の100万ドル映画として大宣伝して大成功した。シュトロハイム演じるニセ貴族(シュトロハイム本人も貴族を名乗る平民である。)カラムジンがまたアメリカ人の人妻を騙す。シュトロハイムの最高傑作はこれか『クリード』と言われている。この安らかに眠る女性はハリウッドスターのエディ・ポローの娘のマルヴィン・ポロー。彼女は頭が弱い娘で、贋金作りをしている親父は彼女が宝物。なのに、この信心深い十字架の飾られた神の部屋で眠る聖処女に、シュトロハイムは絶品の舌舐めずり演技を見せて夜這いをかける……。

4作目『メリー・ゴー・ラウンド』…完成。一部を監督。

ほぼ撮り終えていたものの途中降板し別監督による撮り直し、シュトロハイム演出のシーンはわずかである。完全に別監督といっても良いだろう。


5作目『グリード』…完成。監督作品。完全版はフィルム行方不明のため鑑賞不可能。

シュトロハイムの最高傑作として名高い。が、150分弱のバージョンはあれど、完全版の540分(9時間超え!)のフィルムは既にジャンクされている。長すぎる映画、長すぎる物語、それを誰が観るのか、というスタジオ側の懸念、というよりも至極真っ当な意見はよりシュトロハイムを問題児として神格化させる。原作は文学者のフランク・ノリスの『マクティーグ』。シュトロハイムはこれを読んで、「な、なんやこれ……。この小説、どこまでわてが描きたい思いよることを描いとる……。映画化する…、ワテがこの映画を映画化したる!完全にな!何時間かかろうとも描ききったる!」というほどに原作にのめり込んだが、当然9時間超えは許されません。

6作目…『メリー・ウィドウ』…完成。監督作。

MGMで制作された超大作オペレッタ。まぁ、サイレント映画だけども。メリー・ウィドウとは陽気な未亡人、という意味で、今までに3本映画化作品がある。2本目はエルンスト・ルビッチ監督のもので絢爛豪華。シュトロハイム版は退廃の香り色濃い作品で、こちらも豪華で画面の端々まで作り込まれている。今作でウィドウを演じたメイ・マレーと監督は凄まじく衝突(主演のジョン・ギルバートとも喧嘩していたシュトロハイム)、メイ・マレーはこの映画のあと、トーキー時代に上手く乗れずに没落、最終的には金もないイカれた女扱いになった。このメイ・マレーが『サンセット大通り』のノーマ・デズモンドのモデルになった。乱交パーティーの撮影は曰く付きだが、無論、公開版では乱交シーンのほとんどはカットされている。所謂シュトロハイムが演じる露悪的かつ卑劣なキャラクターであるミルコ皇子はロイ・ダルシーが演じて、シュトロハイムも太鼓判を押している。

7作目『結婚行進曲』…完成。監督、主演作。前半は鑑賞可能だが、後半はフィルム焼失のため鑑賞不可能。

久々にスクリーンにカムバック(主演で)!新人女優であるフェイ・レイ(『キング・コング』で有名)は美しく、今作はお家のためにお金と結婚せよ!と両親に命じられた貧乏貴族のシュトロハイムが足の悪い貴族の娘(すごくいい人)と結婚しようとするが、然し、平民の美しい女性と仲良くなっちゃって……。という、三角関係(いや、四角関係的な)な大河ラブロマンス。然し、今作は未完成ではないのだが、前半である『結婚行進曲』は観られるものの、後半である『ハネムーン』はフィルムが消失して観ることが叶わない。スクリプトは存在しているので最終的な悲恋の展開はわかるのだが、映像では永劫観ることはが叶わず。
写真では何葉か残っており、シナリオを読みながら脳内補完しか出来ないのが、後半の『ハネムーン』。

8作目『クィーンケリー』…監督作。未完成。後半のアフリカ編は一部だけ撮影したがシュトロハイムが解雇されて撮影は中止。

1920年代〜30年代の超大物グロリア・スワンソンがプロデューサー、主演を務める今作は、最高の藝術映画を撮ると野心を燃やした彼女が、曰く付きの天才シュトロハイムを監督に招き入れて、結果やはり空中分解したという、未完成映画である。現在は約70分ほどのヨーロッパ編は完全な形で観られるが、後半のアフリカ編は撮影はほぼされておらず、素材をつなぎ合わせて出来た『ゼノギアス』的な100分版では、ナレーション的な説明文を駆使したり、写真で間を持たせたりして、一応完結している。ソフトフォーカスで撮られたこの映像は、恐らくシュトロハイ史上最も美しく、肝心の主役スワンソンよりも、彼女と恋に落ちる王子を愛する狂王女を演じるシーナ・オーウェンが魅力的で、主役を食っている。
シーナ・オーウェンが最高の映画であり、美しく、完成していたら最高傑作になっていた可能性があった。彼女が王子を誑かした(まぁ、王子が誑かしてんだけど)スワンソンを鞭で叩きまくる!衛兵はそれを見て本当に嬉しそうにニヤニヤしている。


9作目『Hello、Sistar!』完成。監督作(だったが解任)

シュトロハイムの最終監督作にして、最終的には別の監督によりリテイクシーンをふんだんに交えられて再編集させられた、全くの別物とのこと。私は今作だけは観ていない。原題は『walking down Broadway』だ。


と、まぁ、ここまで簡単にシュトロハイム作品の紹介をさせて頂いたが、現在日本で発売されていて簡単に観ることが出来る映画は、『アルプス颪』(DVD廃盤)、『愚かなる妻』(DVD購入できる)、『グリード』(DVD購入できる)、くらいであり、既に廃盤で入手の難しい『クィーンケリー』や『メリー・ウィドウ』などもある。
ちなみに私は、『クィーンケリー』のDVDは持っており、これは紀伊國屋書店から発売されたものだが、まぁブックレットが異常に充実している。

が、シュトロハイムに関しては日本の映画本などでは言及されているものが少なく、研究本はかなり少ない。
例えば、2019年に発売された超極厚本の『サイレント映画の黄金時代』などでも言及が少ないため(要所要所で登場するが)、海外本を買って読む方がいいだろう。『サイレント映画の黄金時代』は新品で10,000円近くするため、なかなか普通には手が出ない。


私の持っている本で1番重要、というかかなり充実しているのは『Stroheim: A Pictorial Record of His Nine Films』というペーパーバックで、まぁ、これは10,000円以上するのと、国内入手は難しいため海外で購入した。ただ、原価は5ドルとかそんなものなので、これは輸送費が高くつくのと、古書のためレアなのである。写真がふんだんに使われていて、読み応えたっぷりだ。

で、まぁシュトロハイムは1910年代〜1930年代を彗星のごとく駆け抜けて、その後俳優になって、『サンセット大通り』において、古ぼけた洋館に住む往年の大スター、ノーマ・デズモンドの執事になって登場する。

このノーマ・デズモンドはグロリア・スワンソンが演じていて、サイレント時代の大スターという、メタ構造的な役割で圧巻の演技を見せつける。

今作でグロリア・スワンソンが演じるノーマがウィリアム・ホールデン演じる売れない脚本家ジョーを隣に座らせ、お家のマイシアターで無理やり鑑賞会を行い、「ああーん、ほらぁ、素敵でしょう。やっぱり映画にはセリフなんていらないのよ。美しい画面。」と、うっとりと自画自賛するのが、彼女のサイレント時代の映画の『クイーン・ケリー』である。

自分の若い頃の映画を観せてうっとりとする……。このカットのグロリア・スワンソンは実際『クイーン・ケリー』の中でも最高に美しく撮られている。ここは、もう一度あのお方に会えますように、と神様にお祈りしているのだ。『クイーン・ケリー』において、ふとした弾みで脱げたパンツ、そのパンツを笑った王子様に投げつけると、王子様は嬉しそうにそれを持って帰ってしまう……。
『サンセット大通り』では昔デズモンドと仕事していた大監督セシル・B・デミル監督が本人役で登場する。スワンソンは金が入ればその分を即座に使ったという豪勢な伝説がある。その贅沢は全て、「デミルに教えられたんですよ」と答えている。
ウィリアム・ホールデン演じるジョーは売れない脚本家。借金取りから逃れて迷い込んだ館はヤベー女の家だった系映画である(ちょっと違うけど、『ミザリー』的な)。
ノーマは脚本家だというジョーに興味を示して、最高のカムバックとなるでろうと本人が思っている自作脚本『サロメ』の手直しをさせる。ジョーはまぁいいか、と思いながら受けるもの、ノーマがヤベー奴であり、そして『サロメ』が糞脚本であることに早々に後悔を覚える。しかし、グロリア・スワンソンはサイレント時代の超大物だというのに、この、自らを貶すように作品において、神懸かり的なトーキー演技を見せて圧巻である。

さて、長くなってしまったが、私は個人的にはシュトロハイム作品は1番『メリー・ウィドウ』が好きで、2番目が『クイーン・ケリー』、3番目に『愚かなる妻』、である。
この3本はまた別々に記事にしたい。

サイレント映画、というのは、基本的にはセリフがない。なので、画面を観て演技を観て、そうしてある程度物語を保管していくわけだが、然し、この言葉がない、サイレントなる映画こそが、ムーヴィーの本質を現しているようだ。
なにせ、私にシュトロハイムの映画は、彼の伝説も含めて、これらの映画に描かれている以上の幻想の香を嗅いでいるわけだから。



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