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いかないで

私の大切な本の1つに、『写真に残された絶滅動物たち最後の記録』という本がある。

著者エロル・フラーは絶滅動物の権威で、鳥類の学者である。
だからだろうか、今作には絶滅した鳥類が数多く記載されている。
彼は、この本の前に、『絶滅した鳥』という本を書いていて、それには、挿絵もふんだんに描かれているそうなのだが、著者は、この本のはしがきに、
「人は挿絵よりも、実際の写真を見ると、それに釘付けになりました。」と書いている。そのとおり、この本には、既にこの世界には存在しない生物の写真が、たくさん収められている。

この本にも、数多の生き物が紹介されていて、その中でも、表紙を飾るフクロオオカミがメインになるのだろう。

フクロオオカミは、1936年に絶滅した(目撃情報はあるけれども、もう、既にいないと思われる)。
大きく口を開く姿が特徴的な、有袋類である。
フクロオオカミは、まず、アボリジニの持ち込んだディンゴ(野生の犬)との生存競争に負けて、そして、追いやられたタスマニア島でも、西洋の移住者に掃討される運命になる。

フクロオオカミは、羊を襲うことから、懸賞金をかけられて、賞金稼ぎに殺されまくった。虐殺である。そして、気づくとほぼいないのに、まだ虐殺は続いて、法的に保護されたのが、絶滅した1936年である。

自分の種族が、もう残り少なくなったら、どう思うのだろうか。
例えば、私と貴方としか、もうこの世界にはいなくなってしまった。そのときの感情というのは、一体、どういうものなのだろう。
しょうもない話だが、私は普通に肉も食うし、魚も食べるが、虫などは極力殺したくない。芋虫などが地面で潰れていると、すごく哀しい気持ちになる。世界全体が悪夢のように思える。私が、あの芋虫だったかもしれない。

私は、人間というのは、度し難い、どクズだと思っている。
どれだけの命が、人間のせいで狩りつくされたのだろうか。

然し、私も人間であることから逃れられないし、いい人がたくさんいて、優しい心を持つ人がたくさんいることを知っている。
人間もいつか絶滅するだろう。その時、人間にはたくさんの写真が残っている。素敵な笑顔の写真を残しておけば、楽しい人生だったと、後世の、他の生命体に感じてもらえるかもしれない。
素敵な生き物だったと思ってもらえるかもしれない。

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もはや、フクロオオカミや、絶滅した生き物たちは、写真の中にしかいないけれども、本を開けば会えるわけだ。
そして、フクロオオカミも懸命に生きていたことを、会えなくても識ることができる。

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