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孤独


私は孤独な主人公に惹かれる。

物語の主人公は、孤独であるべきだ。
然し、それ以前に、人は全て孤独である。

私の愛する映画、『ブレードランナー2049』の主人公であるKは孤独である。彼は旧型の同胞を殺す仕事をして、人間の同僚警官には蔑まされて、
そしてアパートの住民たちには憎まれている。
寂しい我が家で彼を待つのは量産型のAIの彼女で、そもそもがレプリカントである彼には肉親はいない。子供も持てない。

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彼はレプリカントであるが、人間も一人で生まれてきて、一人で死んでいく。側に人がいるかどうかの違いはあれど、結局は孤独である。
60億から70億を超える人間がいる。
一つの舟に乗り込んだ同じ種族たちが、互いに耐えようもない孤独を抱えている。

無論、私も孤独である。そして、孤独にも程度があろう。私の孤独は人から見れば取るに足らないものかもしれないが、荒野にいるのは間違いない。

例えば、誰かと笑いあった時、誰かと喧嘩をした時、或いは、誰かと肌を重ねた時、誰かに名前を呼ばれた時、誰かの心に触れた時……一時だけ心が安らぐ。

小説を読んでいるときも、孤独が和らぐときだ。
それは、誰かに囁きかけられているように思うからかもしれない。
つまり、文章は対話なのだろう。人と話しているようで、淋しくない。その人の心の声、視線が見える。

物語が終わる時、寂しさを覚える。それが楽しければ楽しいほど。
それは、命が閉じるようだ。祭りの後の、静寂である。

私は自分の小説で、『ふたのなりひら』という作品を書いた時、

これは両性具有の人の話なのだれど、米倉利紀の『シャワールームで泣かないで』という曲を勝手にテーマソングにして書いていた。90年代初頭の歌なので、今聞いたら時代を感じるが、そこも含めて愛おしい名曲である。

この歌の歌詞は美しくて、
「素肌が旅をして 出逢うものは たぶん人はみな一人だということ」という部分が好きである。
詩的である。歌詞には、時々驚嘆すべき言葉の連なりがある。
長々とした小説の文章なんかよりも、よっぽど本質を突いていることが多々ある。

人は詩を歌うが、きっと、嬉しさからよりも、誰かに聞いてほしいという、
寂しい心の声なのではないだろうか。

子供の頃は、寂しい時や悲しい時には、大声で泣けばいい。
けれど、大人になれば、我慢するしかない。
仮面をつけて、ペルソナを被って、演じるしかない。
然し、道化師と同じように、大人こそが本当には哀しいのである。
子供の頃は、素直に泣けたのに、どうしてこうなるのだろうか。
孤独は神が与えた宿痾であろう。
神様も、孤独だから人間を作ったんだろうか。

ああ、素直に泣けるならばどれほど素敵なことだろうか。


※イラストレーション しんいし智歩



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