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061. 読書について(Vol.3)

006, 029記事の続編。

いろいろな本をただひたすら片っ端から読んでいる。濫読に関しては、賛否両論あるが、やはりじっくり読むというのはまとまった時間がないと難しい。ゲシュタルトが構築されていない分野の本は読むのに時間がかかる。

知識は圧倒的な知識をベースにして得られる。前提知識のゲシュタルトがあることで、脳内のRAS(毛様体賦活系)というフィルターシステムによって情報の取捨選択が行われる。膨大な情報量を事前に持っているからこそ、その情報の価値が分かるようになる。

新しい分野の本は、一度読んだだけではほぼ確実に身につかない。ゲシュタルトができてから複数回読むことで内容が定着していく。自分の視点から離れ、著者の視点を獲得していく。そうして獲得した視点から世界を見渡せば認知的複雑性が増して、抽象度が上がる。

乱読の意味はなるべく自分から離れられること。重要だと思わないような本を読むことが新たな発見につながるから好きな本ばかり読んでいてはいけない、専門バカになってはいけないことを戒めとして記述しておく。

知的メタボリックシンドロームを疑った方がいいのかもしれない。脳内に情報量を溜め込みすぎると、他の創造的活動が疎かになってしまうのかもしれない。忘却の重要性がこの本では述べられている。忘却の美学。忘却のスクリーニングに耐え得る情報だけが記憶として定着する。

通常の読書を物理的読書といい、複数の本を読む乱読を化学的読書と筆者は名づけている。化学的読書はセレンディピティ(偶然の幸運)につながる。

アルファー読みとベーター読みの両方が大切である。

『乱読のセレンディピティ』

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