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散文的で理不尽な哀しみについて

僕は理屈っぽい人間だけど、そんな僕を一番人生で苦しめるのは、まったく理不尽で、唐突に現れる、どうしようもない、感情的で散文的な哀しみだ。

ある金曜日、職場からのいつもの帰り道、ビルの隙間から見える、オレンジ色の夕日を見て、きれいだなと思った。その瞬間、どこかの誰かと昔一緒に見た、広々とした夕焼け空の景色を思い出す。
広大な田園風景が広がっていて、遠くにみえる高架橋をカタンコトンと控えめな音で電車が走っている。気持ちの良い風が吹いていて、一緒にいる女性と何か談笑をしている。いつ見た景色だっけ、そんな景色本当に見たっけ、誰と見たっけ?
遠い田舎にいる母親かなあ、いや元奥さんかなあ、去年別れたあの子かな。。。
ふと気づくといつもの帰り道。唐突に、今目の前に浮かんでいる夕日が、世界の終りの最後の夕日に思える。世界の終りの夕日を、金曜日の会社帰りにたった一人で見ているなんて、なんて寂しいんだろう。
ああ、何を考えているんだ僕は、一週間仕事して疲れたんだろう、ああそうか少し寂しいのかもな。この夕日が綺麗だなって誰かと共感したい、それだけなんだろうな。
イヤホンの音量を上げて、早歩きで家に帰る。
その景色は後を引いて、家についてもどこか胸がきゅっと苦しい。料理をしていても、お風呂に入っても頭の片隅にさっきの光景が浮かんでいる。今こうやっているうちに、世界が滅びてしまうんじゃないかと、そして一人で最期を迎えるのかと虚しくなる。

僕はこんな感情的で散文的で意味不明な哀しみにたまに襲われて、胸が苦しくなる。
どうやってその哀しみと向き合えばよいのか全然わからない。ただ、雨の中で捨てられている子猫のように、圧倒的に哀しいのだけれどもどこか大事にしたくなってしまう、ギュッと抱きしめてあげたくなる愛おしさもあったりする。
きっと芸術家なら、ここから作曲したり、絵を描いたり、小説を作ったりそれこそ散文の詩を書いたりして昇華するのだろうな。じゃあそんな能力がない僕はどうすればよいのだろう。とりあえず、noteに書いてみました。みなさん、こんなことありますか、どうしてますか。

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