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美しい自伝~ナボコフ「記憶よ、語れ──自伝再訪」〜

 ナボコフ「記憶よ、語れ──自伝再訪」は、ナボコフらしい変わった自伝であると同時に、非情に美しい自伝である。この自伝は、十五章で構成されているが、それは完全な時系列順になっておらず、また、まず初めに第四章が書かれ、次に第六章、といった風に、各章は順番に書かれていない。第一章のあとに第十五章が書かれているのも、とても面白い。
 この本が普通の自伝ではないことが、第一章の書き出しから読者には感じられるだろう。『揺籠は深淵の上で揺れ、常識が教えるところによれば、我々の存在は二つの永劫の闇の隙間から微かに漏れる光にすぎないという。』この他にも、美しい書き出しが、あらゆるところから見つけることができる。第十一章『無感覚になるほど激しい詩作の衝動が初めて私を襲った、一九一四年の夏を再構築しようと思えば、あるパヴィリオンを思い浮かべるだけで充分だ。』、第十四章『螺旋とは魂を吹き込まれた円である。』、このように、ナボコフが記憶を描く筆致は鮮やかで、これほど美しい自伝を僕は見たことが無い。
 また、この自伝の特徴としてあげられるのは、色彩豊かな美しい文章である。ロシアの美しい自然、ナボコフが溺愛した蝶や蛾といった鱗翅類が、豊かな色で描かれている。琥珀色、菫色、鉛色、薄黄色、朱色、黄褐色、ネイビーブルー、緋色、こんな風に、文章は美しい色合いを身に纏っていて、ナボコフの色への深い知識、鋭い色彩感覚が現れている。
 また、解説でも指摘されているように、第五章と第七章が短編集にも収録されていることからわかるように、各章は短編小説のように書かれていて、小説的技法が用いられている。特に第十三章の終わり方は、初めの場面から繋がっている、短編小説として非常に美しい終わり方で、決して素直な自伝ではない。

 最後に、この自伝の最も変わっているところを述べよう。それは、「幻の十六章」である。これはナボコフが捨てた案であったが、死後に発表され、この訳本にも追加されている。この幻の第十六章は、ナボコフの自伝に対する、偽の書評になっている。文体を自ら評価しているというのも、とても面白い。『観察者が宇宙全体を事細かに描きだそうとして、終わったときに、まだ何かが欠けていると気づく。それは観察者自身である』という本文が物語るように、ナボコフは、自伝の観察者である自分自身を描き出そうとしたのだ。

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