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絵に描いたような「母性」

おはようございます、朝子です。
今回の記事は、一昨年のnoteイベントで書き始めていたものです(笑)

湊かなえさんの「母性」を読んだ感想です。

映画公開の頃に掲載するはずが、書き終えられず時は流れ…
Netflixで視聴したので、この機会にアップします!

読んだきっかけ

普段は仕事に関わる本ばかり読む私ですが、久しぶりにどっぷり世界観に浸れるような小説を読みたいと思いました。

手に取ったのは、湊かなえの「母性」。

当時、映画化で盛り上がっていて、書店でも目につきやすい場所に並べられていたのですが、今より12年前の2012年に発表されたものでした。
湊かなえさん自身が出産をして間もない頃に「母としての気持ちと娘としての気持ちを両方持っているときに書きたい」と筆を執った作品だそうです。

実は、昔の私はミステリーをあまり好まなかったこともあり、湊かなえさんの作品は読んだことも映画化作品を観たこともなかったのですが…
自分自身が結婚したことや、友人も出産ラッシュだったこともあり、娘から母になっていく物語に興味を惹かれて読むことにしました。
ドイツを代表する詩人·リルケの詩も引用されているとのことで、リルケ詩集も一緒に購入しました。

詩的で美しすぎる語り手

章ごとに
「母性について」
「母の手記」
「娘の回想」
の三部立てになっています。

「母性について」は、学校教師が、ある女子高生の転落死に疑問と関心を持ち、先輩教師に語る部分になっています。
この教師の、母娘との関係性は最後に明かされます。

「母の手記」は詩的で美しく、完璧すぎる。
ゆえに読者からすると、少し気味が悪い母。

「娘」は真面目すぎて遊びがなく、不器用。
初めて物心がついた頃からを回想している。

一見、母のみが胡散臭いようでいて、いずれも正体不明であったり、記憶が断片的であったり、"謎"を背負っています。
この語り手が、切り替わりながら進んでいくのだから、目まぐるしい作品です。

私がこれまで読んできた小説というのは、ナレーションか主人公モノローグどちらかによる特定の一人による語りで進む物語ばかりでした。

だからこそこの「母性」は、
何が真実で何が思い込みなのか…
巻き込まれていくような…
臨場感がありました。

教師も母も娘も、終盤まで名前が出てこない。それが"事実"の伏線になっていて圧倒されました。

花がいっぱいの愛の家

愛能う限り娘を大切に育ててきました

詩的表現と、絵画のような世界観。

これが私の好みに刺さったこともあり、充実した読後感を得られました。
ミステリーとして楽しんだ以前に、芸術作品を鑑賞したような気分です。

この美しすぎる気味悪さを好まない人もいそうですが、私にはクリティカルヒットです。

「思い込み」はどう映像化されたか

この美しい情景と、母娘の主観⇔客観をどう映像化するのか、全く想像がつかず楽しみでした。

そして映画を見てみて…

戸田恵梨香さんと永野芽郁ちゃんの表情はガラッと変わっていて、感情·主観だだもれ。
親子の関わりを全くといっていいほど客観的に描いていない。
というか、客観的に語ってくれる人物がいない。

でも、リアルの人間関係もそうじゃないだろうか。
冷静で客観的を装っていてもそこには必ず主観があって排除してもしきれない。

愚痴や相談だって、事実だけ述べようとしたって、憶測や感想が入り交じるものです。

しかもそれは「母と娘」に限りません。

愛とは、母性とは

愛する ということは技術(スキル)のひとつで、生まれつきできることではないと、エーリッヒ·フロムは言いました。
私も愛することと愛されることについて悩んだ時期があり、フロムの「愛するということ」の"解説書"なら読んだことがあります。

確かに、人間の発達段階からするとそうかもしれません。
私は、ロックの精神白紙説も支持しています。

なんとなく、愛情の輪郭に触れられた今なら、フロムの本を理解することができるかもしれません。
図書館や書店で探してみようと思います。

一緒に買ったリルケの詩集についても、また、いつか。


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