【映画】「くじらびと LAMAFA」感想・レビュー・解説

とても良い映画だった。
それこそ今なら、「SDGs」の括りに入れてもっとアピールしても良い映画だろう(別にSDGs的な部分がメインなわけではないが)。
変な表現だが、「CGかと思うような圧倒的な映像」が度々登場し、その凄まじさに驚かされた。
手作りの舟、手作りの銛、手作りの網で、舟より大きなクジラを仕留めるのだ。
なかなか信じがたい。

内容についてはこれから触れていくが、僕がこの映画で最も興味深いと感じた点は、「彼らは、文明から取り残された人たちではない」ということだ。

村人の一人が、こんなことを言っていた。

【バリ島で働いたこともあるし、確かにあそこは結構稼げる。でもお金に追われる生活だった。
ここでは、お金がなくてもなんとか生きていける】

重要な点は、「貨幣経済の中でも生活したことがある」ということだ。そして、その経験を経た上で、この「クジラを獲って生活する村」で生きることを選んだのだ。

他にもこの映画では、恐らく村人だろう人物が、浜辺に横たわるクジラをみんなで解体している場面をスマホで撮影しているのが、画面の端っこにちょっと映る。スマホもちゃんとあって、電波も届くんだ、と感じた。

舟はそのほとんどが手作りだがきちんとエンジンを積んでいるし、どう手に入れているのか不明だが、村人はTシャツを着てキャップを被っている。ペットボトルも使っているようだ。

映画の舞台になっているラマレラ村が、インドネシアの中でどのような立ち位置にあるのかよく分からないが、少なくとも文明世界と隔絶しているわけではないし、何らかの形で貨幣経済との関わりがあるのだと思う。

映画の主人公的な形で登場する、船員の息子である少年・エーメンは、親から「将来何になりたい?」と聞かれて、「海で働きたい」と答える。それに対して父親が、「お金はなんとかするから、学校に行きなさい」と言う場面もある。

そういうわけでこの村の住人は、文明世界との繋がりはきちんとあるし、貨幣経済との接点も持っているのだが、それでもこの村で生活することを選んでいる、というわけだ(もちろん中には、この村で生きざるを得ないという人もいるだろうが)。

そのことがまず非常に印象に残った。文明や貨幣経済との関わりのない先住民などの物語ではなく、「クジラを獲って生きることを選び取った人たち」の生活が描かれているのだ、と僕は受け取った。

ラマレラ村は、人口約1500人。火山灰の地層に覆われているため作物が育たず、それゆえ、クジラに頼るしかない。ラマレラ村では週に1度市が開かれ、山の幸と海の幸が物々交換される。クジラ肉が最も人気だそうで、一切れでバナナ12本と交換できるそうだ。

突き漁ではマンタやジンベイザメなども獲るが、やはりメインとなるのはクジラだ。年に10頭のクジラが獲れれば村人は生きていけるそうだが、時によっては一ヶ月何も獲れないこともあるという厳しい世界だ。

映画の中では繰り返し、「クジラ獲りは命懸けだ」という発言が出てくる。舟よりデカイ生き物を相手にするのだから当然だ。舟には10人の船員がいるが、クジラの尾びれで攻撃されればひとたまりもないので、誰もが等しく危険だと言っていい。

しかしやはり中でも危険なのは、「ラマファ」と呼ばれる銛打ちだ。舟の舳先の飛び出した部分に立ち、先に銛をつけた長い木の棒を掴んだまま、クジラの頭めがけて飛び込むのだ。

【ラマファには代々、心得が使えられる。銛を打つ時に、頭を見てはいけない、と。特に目を見てはダメだ。その目を見てしまったら、怖くなるから。(ラマファに)成り立ての頃は、特に怖く感じるものだ】

またラマファについては「技術だけではダメだ」とも語られる。

【人々はラマファに希望を抱いている。だから技術だけではダメで、強い気持ちを持つことが大事なのだ。それを見て、人々は勇気を得ることができる。
ラマファは、ひとりでその重圧に耐えなければならないのだ】

別の人物は、こんな言い方もしていた。

【クジラ漁は常に危険と隣り合わせだ。でも、村人全員が食べていくためには、クジラを獲るしかない】

「獲るしかない」と字幕に表記されていたが、これはまさに「村人の生活を背負う責務」を実感しているということだろう。舟が何隻あるのか分からないが、ラマファは舟一隻につき1人だ。村では憧れの存在らしく、少年・エーメンもラマファになりたいと言っていた(と思う)。危険だが憧れの存在であり、しかし自分の働き次第で村人が飢えてしまうかもしれないという重圧を背負う覚悟はなかなかのものだろう。

「命懸け」という言葉は決して誇張ではなく、映画撮影期間中も、一人の若きラマファ・ベンジャミンが命を落とした。マンタを銛で仕留めたが、マンタは逃げてしまい、網に絡まってしまっていたというベンジャミンは、マンタと共に姿を消したという。

遺体は見つからなかった。

父親は、舟からホラ貝を海に浮かべる。そしてそのホラ貝を別の舟が回収する。そのホラ貝を「遺体」として葬儀が行われる。村で昔からの伝統だそうだ。

村では、「クジラ漁の期間に夫婦喧嘩をしてはならない」という掟があるという。必ず漁に悪影響を及ぼすからだ。ベンジャミンは命を落とす前日、妻と喧嘩をしたらしい。そのことで、未亡人となった妻は長い間自らを責め続け、笑顔を見せなかったという。

映画では、実際にクジラを銛で獲る場面もある。ドローンを用意しているのだろう、人間とクジラの闘いが上空から捉えられている。銛で突かれているクジラの周辺は血で真っ赤に染まり、しかし最後のあがきとしてクジラもその巨体を動かし続ける。

またクジラは、自らの危機を仲間に音で知らせる。そして、仲間の救助にやってきたクジラにも、銛を突き刺すチャンスを窺うのだ。

映画の冒頭は、

【とどめを刺されて息絶える時、クジラは目をつむる。目をつむる”魚”はクジラだけだ】

という語りから始まる。とても印象的だ。

浜辺まで運ばれたクジラは、村人たちによって解体される。

興味深いと感じたのは、クジラのどの部位を誰に渡すのかが厳密に決まっている、という話だ。ラマファ、船外機の持ち主、舟の持ち主、船員、精霊を呼び込んでくれた先住民などなどにどの肉が渡るのかは大昔から決まっており、「間違えたらクジラが獲れなくなる」とも言われているそうだ。

もちろん、命懸けでクジラを獲る者や、貨幣経済外の村において船外機を所有している人物など、貢献度の高い者が優先して成果を得られるのは当然だ。

そして、未亡人や貧しい者には優先的に肉が配分される仕組みがあり、また、漁に出ていない家族にも「脳油」は分け与えられるそうだ。村には村なりの序列や階層が存在するが、それでも、村全体として生きていける仕組みがきちんと整っている、というところに、厳しい環境で生きざるを得なかった先人の知恵を感じた。

また映画では、クジラ漁に使われる舟にもかなり焦点が当てられる。クジラ漁用の舟は「テナ」と呼ばれており、舟を作る技術を持つ者は「アタモラ」と呼ばれている。

村一番のアタモラは、命を落としたラマファであるベンジャミンの父・イグナシウスだ。

彼が語る「テナ」に関する話は、なかなか興味深い。

【テナは生きている。私たちを守ってくれるのだ】

【テナから離れたら、それは死を意味する】

これらはまだ、「舟」というものの機能を言い換えているだけで、理解できる。しかしこんなことも言う。

【テナには目が描かれている。テナも獲物を探すのだ。私たちよりも先にクジラを見つけるのだ】

【テナは漁の司令塔だ。狩りまで指揮し、村人を食わせてくれる】

舟には魂が宿っているのだと語っている。

僕は、宗教的なものは信心深い考え方は基本的には好きではないが、舟についてこのように語る彼の発言には違和感を覚えなかった。あれだけ巨大なクジラに立ち向かっていくのだ。何か拠り所となるものが必要だろうし、それを道具である「舟」に求めたということは、ある意味では合理的な判断だと感じるからだ。

舟が拠り所だろうが魂が入っていようが関係なく、そもそも「道具」としてきちんと機能しなくてはならない。しかし、道具であると共に拠り所でもあるのだから、機能だけを追及するわけにもいかない。その辺りのせめぎ合いを含んだ「舟造り」はなかなか興味深い。

最も凄いと感じるのは、「魂が宿るものなのだから、鉄の釘は打てない」というこだわりだ。釘的なものを使う必要がある場合は、木の棒を差し込み、その間に綿を詰め込むのだそうだ。

そもそも舟造りには設計図もなければ物差しも使わない。鍬とノミ、そして勘と経験だけが頼りなのだそうだ。しかしそれで、クジラと闘う舟を作り上げてしまうというのだから凄い。

イグナシウスは、こんな風にも言っていた。

【新しい舟は、クジラの攻撃を受けて初めて完成したと言える。クジラは最高のアタモラなのだ】

この説明のために、映画の冒頭で語られたこんな話を引用しよう。

【クジラは、作ったばかりのクジラ舟を見分けて、その弱点を攻撃してくる。とても賢い生き物なのだ】

つまり、「弱点を的確についてくるクジラの攻撃に耐えられて初めて、テナは完成したと言える」というわけだ。それを、「クジラは最高のアタモラなのだ」と表現するのは、凄く良いセンスだなぁ、と感じた。

舟は基本的に女人禁制だが、新造船の進水式だけは例外で、村の女性も乗せて「渡来伝説を再現する」という話や、新造船の舟に限り子どもたちもラマファのように銛打ちの練習ができるという話も出てきた。共同体として、「クジラ漁」や「舟」が中心的な存在であることは明らかだが、実際に漁に関わる人間は一部だ。そういう中で、共同体としての絆みたいなものを高めるイベントとして上手く機能しているのだろうと感じた。

映画の最後の方で語られるこんな話が印象的だった。

【世の中が変わっても、くじらびとの伝統は親から子へと受け継がれる。そしてこのクジラ漁によって、先祖と繋がることができる】

「文明」と大きく隔たったところで、貧しいとも豊かとも取れる生活を送る彼らの人生には、羨ましさと拒絶反応が綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱かされた。

良い映画だった。

この記事が参加している募集

映画感想文

サポートいただけると励みになります!