【映画】「少女は卒業しない」感想・レビュー・解説

これはマジでメチャクチャ良い映画だったなぁ。観ようかどうしようか迷ってたんだけど、これは観て良かった。名前を知っている俳優は誰一人出てこなかったのに(「河合優実」って名前だけ、なんとなく目にした記憶があるぐらい)、満足感はとても高い。

さて先に、原作の話からしよう。

朝井リョウの『少女は卒業しない』を読んだ時には、本当に衝撃を受けた。その衝撃を端的に表すと、「男に、これだけ女性が描けるのか」となる。

もちろん僕は男なので、「女性がリアルに描かれている」という感覚にはあまり説得力はない。女性が『少女は卒業しない』を読んでどう感じたのかを直接誰かから聞いたこともない。ただ、僕の感触としてはとにかく、「なんてリアルなんだ」と感じた。

原作にはそういう、「男に、これだけ女性が描けるのか」という「魔法」があるので、そういう意味で映画よりも原作の方が圧倒的に良かった(ちなみに、映画を観る時点で、原作の内容はほぼ忘れていた)。ただ、映画も実に素晴らしい。

物語には、ほとんど起伏らしい起伏が存在しない。「学園モノ」という響きから想像するような、「こういうことが起こるんだろう」的展開は、ほぼ存在しないと言っていいだろう。もちろん、恋愛的なものは描かれるし、「クラスに馴染めない」的なものも描かれるし、幼なじみとか教師への憧れみたいな青春的要素は、ある。

あるけど、しかし、別にそれらはなんというのか、「若者の日常の『当たり前』として描かれているだけ」という感じがする。つまり、特段それらに焦点が当たっているわけではない。高校生なんだから、当然恋はするし、クラスに馴染めない人はいるし、そりゃあ青春はあるよね、ぐらいの雰囲気だ。それらは結局、「高校生の日常」という、ある種の「記号」としてしか存在しない。

だからこの映画には、「高校生の日常」以外の「何か」は、別に無いように感じる。それぞれ「学生時代の経験」は違うけれども、平均的な人たちの平均的な「学生時代の経験」をいくつか集めてみたら、大体この映画のような「外枠」は作れるんじゃないかという気がする。

何が言いたいのかと言うと、この映画にはとにかく「物語を意識的に輝かせるような『何か』」は存在しないということだ。

そして、それなのに、物語全体が輝きに満ちているということに、驚かされてしまう。

この「輝き」は決して、「キラキラしている」みたいなことではない。確かに「キラキラ」と言いたくなるような要素もあるけれども、そうではなくて、「人間の内面が光り輝いている」みたいな印象があるのだ。

そしてその「輝き」を、「校舎が取り壊される学校の、卒業式前後の2日間」という憎らしい舞台設定が一層効果的に見せている。単に「高校を卒業する」というのではなく、「3年間過ごしたこの校舎もろとも、『高校生』という時間のすべてが今日で終わってしまう」という複雑な「寂しさ」みたいなものが、映画全体で描き出したいものをより一層映えさせるような印象があった。

そんな「最後」という印象に後押しされるようにして、4人の少女たちが様々な行動を取っていく(原作では、メインで描かれる少女は7人いたけど、映画では4人に絞ったようだ)。彼女たちはそれぞれ、概ね「日常の範囲内」と言っていいような葛藤や悩みを抱えている(1人だけ、「日常の範囲内」とは言い難い人がいるけど、それについてはこの記事では触れない)。それらはどれも、大人になった僕らからすれば「ありふれている」としか思えないことだけど、世界が学校と家ぐらいしかない学生時代には、自分の抱えているものが、「世界の終わり」ぐらい重大なものに感じられる。そんな悩みや葛藤を、「最後だから」という、言い訳なのかきっかけなのか分からない理由で飛び越えようとする少女たちの物語が、とても魅力的だ。

4人が4人とも素晴らしかったが、やはり僕としては、クラスに馴染めずに図書館に通う作田詩織に惹かれる。彼女ほどではなかったにせよ、僕も「学校」という空間をとても息苦しいものに感じていたし、「どうにか生き延びた」という感覚がある。僕は本当に、男女問わずだが、彼女のような存在が、どうにか「息苦しくなく」生きられるような世の中であってほしいと願ってしまうし、もし自分に何か権力や財力があるなら、そういうことに力を注ぎたいなと思っていたりする。

作田詩織と関わる、図書室の先生・坂口優斗もとても良かった。生徒にも丁寧な敬語で接するスタンスも含め、「作田詩織のような人間が『関わってもいい』と感じる雰囲気」を絶妙に発しているのはとても上手かった。映画の中では、やはり作田と先生のシーンが一番好きだなぁ。本当に、「この2人だからギリギリ成立している雰囲気」みたいなものが見事だった。

関係性で言えば、神田杏子と森崎剛士も良い。この2人の関係性は、物語の後半にならないと具体的には理解しにくいので、ここではあまり触れないが、他の人とはまたちょっと違った理由で「最後だから」という行動を取る竹田の感じは素敵だったなぁ。作田と坂口の関係も憧れるけど、竹田と森崎の関係も憧れる。

山城まなみと佐藤駿は付き合っているのだけど、この2人の場合、佐藤がとても「理想の彼氏」という感じで、その振る舞いが絶妙だったと思う。山城は卒業式で答辞を読むことに決まっている。卒業式に向かって物語が進んでいく構成の中では、山城こそが全体のキーとなる存在と言っていいだろう。この2人の関係は、恋愛的にかなり理想的なんじゃないだろうか。佐藤のような彼氏がほしいとか、山城のような彼女がほしい、みたいに感じる人は多そうに思う。

後藤由貴と寺田賢介は、逆に険悪な雰囲気にある。理由はシンプルだが根深いもので、地元に残ると決めた寺田と違い、後藤が東京に進学すると決めたことが本質的な問題だ。どちらも、自分の将来をきちんと見据えた上での選択であり、お互いにそのことは理解している。しかしそれでも、「離れ離れになってしまう」という現実を前に、お互いに上手く感情を伝えられない。そんな難しい状況を、「ベースはとてもリア充っぽいけど、そんなシンプルに捉えられもしない」という雰囲気の後藤由貴視点で描き出していく。

映画には、説明的なセリフや描写はほとんどなく、なんとなく「今っぽい若者が、卒業式前後で喋ってそうなこと」で物語が構成されていく。だからこそ、物語の設定や、過去にどんなことがあったのかを、演出によって上手く観客に伝える必要があるのだけど、この映画はその点が見事だったと思う。特に感心したのが、詳しくは触れないが「国旗」に関するものだ。これは、それが何を伝えようとしているのかを理解した時に、「うわー、天才だわ」と感じた。原作に同じシーンがあったのかどうか、覚えていない。公式HPには、原作者である朝井リョウが、「自著が原作の映画をこんなにも褒めてしまうのは、非常に巧みで適切な改変のおかげで、原作者というより一人の観客という距離感で映画に臨めたからです。」と書いているので、もしかしたら原作にはなかったのかもしれない。

あと、これも誰がどのタイミングで言うのかは書かないでおくが、「中学の時みたいに、ライバルが増えると困るから」というセリフも、最高に素晴らしかったなと思う。このセリフだけで、2人の関係性とか、過去にどんなことがあったのかみたいなことが、なんとなくブワーっと想像できるような感じがある。

こういう、何でもなさそうな描写とか、その時の実感を詰め込んでいるのだろうセリフなんかから、その描写やセリフが直接的に表現するもの以上の何かを伝える演出が随所に詰め込まれていて、それがとにかく見事だった。そういう演出が素晴らしかったから、学生たちのセリフが「日常のリアル」のままでも、映画として完全に成立しているんだなと思う。

原作を読んだことがなく、映画のメインビジュアルや出てくる役者の雰囲気から「キラキラした学園モノ」みたいに思いこんでいる人は、まずちょっとその先入観を外してもらうといいかもしれません。確かに、キラキラがゼロなわけではありませんが、それ以上に、より深みのある何かが描かれているみたいに感じられるのではないかと思います。

また、こんな風にも感じます。以前、映画『君の膵臓をたべたい』を観たのですが、主演を務めた浜辺美波と北村匠海は共に、この映画出演時にはさほど知名度がなかったはずです。同じように、映画『少女は卒業しない』の出演者たちも、現時点ではまだそこまで知名度が高いと言えないと思いますが、この作品に出演した人たちの中から、浜辺美波・北村匠海のようになる人が出てきそうな気もします。そうなってくれたら面白いなぁ、という期待も込めつつ、この作品がより広く評価されてほしいなと思います。


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