【映画】「アイスクリームフィーバー」感想・レビュー・解説

さて、とてもビジュアルテイストで音楽チックな映画だった。いつもの如く詳しいことを知らずに観に行ったので、監督がアートディレクターを主戦場とする人であり、初の映画監督作品であるということも知らなかった。その点を踏まえれば、ビジュアルテイストで音楽チックな作品に仕上がるのも納得という感じだ。1:1っぽい、正方形な感じの画面も、普段見ている映画とは違って「オシャレ感」を演出していると感じた。冒頭で、「私たちは今日も叫ぶ。これは映画ではない」みたいな表記が出るんだけど、1:1なのはそういうメッセージでもあるんだろうか?

全体的に、「場面場面の映像美」みたいなもので魅せていく作品という感じがしたので、物語要素は薄いと僕は感じた。ただ、良かったのは、原作(原案)をきちんと用意したことだろう。川上未映子の『アイスクリーム熱』という短編小説がベースになっているそうだ。だから、物語感の薄い映画なのだが、ところどころ「物語的な面白さ」が楽しめる、という感じになっている。特にそれは、映画の後半に行けば行くほどそうなると言っていいだろう。

映画は基本的に「断片」をつなぎ合わせていくみたいにして進んでいく。「ある一つの場面」が支配する時間はとても短い。カットを割って割って割って、色んな要素を随時挿入して挿入して挿入して、というような構成の仕方だ。だからこそ、特に最初は「物語」が見えにくかった。誰の何の物語なのかさっぱり理解できない。出演者の中で「吉岡里帆」「松本まりか」がやはり女優としてはメジャーだろうから、この2人が主軸となっていくことは予想できるが、もしこれが北欧かなんかの(つまりハリウッド的ではないということ)映画で、役者の顔も名前もまったく知らないみたいな映画だったら、冒頭からメインで登場する何人かの女性たちの誰がメインで描かれてもおかしくない、みたいな感じになったんじゃないかと思う。

中盤ぐらいからようやく、少しずつ「登場人物」同士の関係性が見えてくる(それまで本当に、誰がどんな風に繋がりを持っているのか想像が難しい)。正直なところ、その関係性が見えたところで、「なるほど、そういう物語ね」となるわけではないのだけど、この辺りから「物語的な面白さ」が滲み出てくると言っていいだろう。「主に吉岡里帆の物語」と「主に松本まりかの物語」が重なるようで重ならない、絶妙なバランスで付かず離れずの距離感を保ちつつ、その周辺にいる様々な女性たちの「今、その瞬間」をひたすらに切り取ろうとした、そんな作品だ。

「関係性を描く」という意味では、「ひたすらに『直接的には描かない』というスタンス」がとても良い。特に僕が好きなのは、「イヤリング」と「ベランダの花」である。これはどちらも、後半になってその意味が理解できるものなので具体的には触れないが、はっきりと「こうだ」と描くことなしに、幾人かの人間の背景にすーっと透明な糸を引いていく、みたいな描写が実に上手いなと思う。他にも、もしかしたら僕が気づかなかった「ほのめかし」みたいなものがあるかもしれない。とにかく、「ストーリー」を「役者のセリフ・言動」ではない形で「視覚的に語る」というセンスがとても見事だと感じた。

あと、映画を観てそう感じることは僕には珍しいのだけど、「音楽が良いな」と感じた。何がどういいのか説明はできないが、僕の一般的なイメージで言うと、映画音楽というのは「音楽が鳴っているということを特に意識させないまま、しかし無意識に作用する」みたいなことが理想とされているように思う。しかしこの映画では、「音楽が鳴っている」ということがかなり激しく主張される。この場合、なかなか「役者の演技」とか「映像の雰囲気」みたいなものと合致させることは難しくなるんじゃないかと思う。ただこの映画では、少なくとも僕の感触では、「音楽は明らかにそこで鳴っているのだけど、それが映像と馴染んでいる」みたいな印象だった。こんな風に感じることはあまりないので、自分でも少し意外だった(全般的に、音楽にはあまり興味がないので、そういう意味での「意外」という感想でもあるのだけど)。

ただ、1点だけ、あんまり好きじゃない部分もあった。具体的に思い出せるのは1つのシーンしかないのだけど、全体的に「カメラワーク」がちょっと好きじゃないなと感じた。冒頭でも書いた通り、基本的には「短くカットを割って繋いでいく」という作品なので、それ自体はいいのだけど、長回しで映し出す場面もある。そしてそういう場面では、「役者がセリフを発することが分かった上でカメラが動いている」という印象が僕には強かった。なんとなく、僕にはそれがちょっと不自然に感じられたんだよなぁ。

もちろんカメラマンは、「次はこの役者がセリフを発する」ということを理解した上でカメラを動かしているんだろうし、それはそうなんだけど、普段映画とかドラマを観ていて、こういう点に違和感を覚えることがなかったので、この映画の場合はちょっとその「違和感」が「下手さ」に僕には見えてしまった。

あと、「世間的な知名度」という意味では仕方ないと思うのだが、この映画のメインビジュアルなどで映し出される4人(吉岡里帆・松本まりか・モトーラ世理奈・詩羽)の内、詩派の役だけ「物語全体にあまり『噛んで』いなかった」ような気がする。この4人を前面に押し出すのであれば、詩羽の役はもう少し物語全体に絡んでも良かった気もするし、あるいは世間的な知名度のことを無視して、メインビジュアルに詩羽ではなく別の人物を載せる、みたいな決断をしても良かったのかなぁ、という気もする。まあ、この辺りは、宣伝とかアピール的な意味合いもあると思うからまあ仕方ないとは思うのだけど。

しかし、詩羽とコムアイを同じ映画に出演させるとか、「この人がこんなところでこんな風に出てくるんだ」的なチョイ役の贅沢さも興味深い作品だ。

とにかくビジュアルは最初から最後までキレイなので、そういう部分に強く興味が持てる人はかなり楽しめるだろうと思う。


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