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風になれないスピードで

高校一年の冬。原付免許を取りに行った。本当は部活の仲間と行くはずだったけれど、お互いに住民票の写しを取り忘れ、予定日には行けなかった。数日後、何かしらの理由を付けて部活をサボり、1人で免許センターへ向かった。どうしてもすぐに免許を取りたかったのだ。

早朝の二俣川。『田村』と呼ばれる免許教室で試験対策をする。試験対策と言っても、おじさんの声で問題と答えが無機質に読み上げられるテープをイヤホンで聴き続ける、というシステム。一夜漬けならぬ、朝漬けである。寝ぼけ眼で数時間聴き、免許センターで試験を受けた。結果は、無事合格。晴れてバイク乗りの仲間入りである。問題集で勉強もしていたけれど、一発で受かったということは、『田村』も何かしらの効果はあったということだろう。バイトをしていない高校生の財布から数千円を支払っているので、そう信じたい。

原付は、乗っている車種で何となくキャラが分かれる。クラスの主流のイケてるメンバーは、名前にZが付く車種(ZX、ZZ、ZRなど)、少しマイナーだとDio、可愛いカジュアルな感じだとビーノ、ちょっと尖った人だとアメリカン。Z系は改造パーツが多く出回っていて、あまりやりすぎると暴走族に絡まれるようなこともあったようだ。あの頃は、絡まれる、ゲーセンでカツアゲ、が武勇伝になる、そんな時代。

「お前たち、どこ校?(バット持ってる)」
「○○高校です…。」
「じゃあ○○先輩知ってる?」
「あ、知ってます。(曖昧に)」
「そうなんだ、よろしく言っておいて。」
「あ、はい…。(終わり?このドキドキを返して!?)」

昭和ではなく平成初期の出来事である。令和でもこういうことは起こっているのだろうか。

車種の話に戻ります。

私は3つ歳上の兄が乗っていたスーパーカブをお下がりで受け継いだ。スーパーカブは1958年に誕生し、長い間大きな変更のない渋めのデザイン。キックペダルでエンジンをかけ、クラッチはなくシンプルに3段階のギアチェンジが出来る。ガチャコン、ガチャコンとしたアナログな操作感がとても格好いい。そしてスクーターに比べると燃費がいい。95円/Lくらいだった当時が懐かしい。

免許を取ってからは、江ノ島駅までカブに乗り、江ノ電に乗りかえて通学した。徐々に距離を伸ばしながら、三浦半島、箱根、長野、京都、と、いろいろなところへ遠出もした。終電の無くなる仕事のときは、通勤にも使った。何度も転んで怪我をした。

風になれない程度の、原付のスピード感が好きだった。

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