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ひとつなぎの

映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を観た。『戦場のメリークリスマス』での俳優業。映画『ジョジョ・ラビット』のエンディング曲『Heroes』。兄の部屋(と言っても二段ベッドで仕切っていただけなので筒抜け)から聴こえてきた『Little Wonder』。僕の知識はその程度だった。兄が壁に貼っていたデヴィッド・ボウイのポスターとは、いつも目が合っていた。

映画では、音楽や演技という部分だけではなく、アートに対する姿勢や哲学など、デヴィッド・ボウイという存在を観念的に堪能することができた。70年代を中心としたライブ映像、前衛的な衣装と生の証言、その裏側。コラージュの多用、サイケデリックな配色、迫力のある音響により、かなりの中毒性があり、彼のことをもっと知りたくなった。

親が観ていたミュージシャンのドキュメンタリー映画は、子供の頃から一緒になってたまに観ていたけれど、いつも途中で飽きていたように思う。映画のエンドロールで文字が上に流れる時間すら、一生続きそうだと感じていたあの頃。淡々としているドキュメンタリーというジャンルが退屈なのは当たり前だろう。成長して、時間が進む早さと同じく、エンドロールが上に流れるのも速度を増した。

大人になってからは、国内外問わずいくつものドキュメンタリー映画を観ている。エッセイや自伝、評伝も読み漁るようになった。好きなアーティストのことは深くまで知りたくなる。最近は、自分を構成するそういう要素の端々に、父親の遺伝を感じることが増えてきた。

セリフの熱や劇伴の影響の多い伝記映画にはない、ドキュメンタリー映画の緊張感と空気の生々しさ。鑑賞したあとは、そこにいたかのように没入し、スクリーンの中で立ちすくんでいる感覚になる。

現実は、言葉は辿々しく、気持ちもなかなか伝わらず、BGMは流れない。だけど、脚色や編集をしなくても、振り返ってみればどの人生もひとつなぎで、ドラマチックなのかも知れない。

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