「ここは、おしまいの地」感想
夜明け直後なのか、天気の悪い昼間なのか、日の落ちる直前なのか。
いつかもわからぬ空の下に広がるのは、役目を終えて後は土にかえるだけのような、色落ちした植物ばかりの荒野。
作者がそう名付けた、「おしまいの地」のどこかの場所を切り取った、この本のカバーの下は、地方に住む一人の女性の、かなり壮絶な日々の記録だった。
人生のほとんどを、この「おしまいの地」で過ごし、幼少期から現在までの数々のエピソードを綴っておられるが、匿名でありながらも、ここまで晒していいものか、と心配になるほどだ。
ここは田舎だから「何もない」、というフィルターを、無意識のうちにかけてしまえば、余程意味や面白みが無ければ、人はその出来事を流してしまうし、格好悪いことは、人に話すのも記憶に残す価値も無し、と闇に葬ってしまいがちだと思う。
既に目もくれなくなった、そんな原石の数々を拾い上げ、作者のこだまさんは汚れやさびを落とし、時間をかけて磨き上げ、控えめながらも綺麗に仕上げて、手のひらに載せて私たちに見せてくれた。
そんな本だった。
私の住む地方は、ここまで田舎ではない(と思っている)が、車を少し走らせれば、本のカバー写真のような景色に突き当たる。
こことは違う、と思っていても、やはり地続きだから、グラデーションの濃淡が違うだけで、根っこの人間性は同じものだと思う。
そして、見覚えのある風景を重ねながら、こだまさんの住む何もないところの生活ぶりも、読み進めるにつれ、私なりに何となくではあるが、空気感とか想像がついてしまう。
大人だったら見逃してしまうことを、目ざとく探してしまう、当時の洗練されていなかった子ども達の残酷さとか。
人の少なさのせいで、ことさらに粗を担ぎ上げがちなところとか。
穏やかに見える毎日の中でも、狂気を静かに抱えている奴が潜んでいるところとか。
何もないと思われるところでも、必ず何かは起こっているし、というか起こす人はいるし、こだまさんは無口だからこそ、そんなことを、ずっとつぶさに冷静に、観察されていたんだろう。
こだまさんは、書くことで救われている、と以前インタビューでおっしゃっていた。
無口であること、巻き込まれの体質であること、そして決して馴染んではいないけど、そこでずっと生きてみようか、と思うこと。
気持ちや生きざまが重なった部分があり、読むことで救われる、という人間も、ここにいます。
ありがとう、と是非伝えたい。