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8月23日の雑記 20年ぶりの再会

20年ぶりに、知り合いの方とばったり会う出来事があった。
マスク着用がマストとなった今、顔半分だけの露出でも、ある程度判別が可能なのか、と思わせた日だった。

夕食の材料を買おうと、2か月ぶりに近所の大きめのショッピングモールに出かけた。
スーパーマーケットコーナーで野菜などを買い、昼食は軽くパンでも食べようかな、とこれもまた久々に、モール内のパン屋に立ち寄った。

トングは撤去され、透明な袋にラッピングされ、更にビニール袋に入れられたパンがずらりと売り場に並んでいる。
さすが大手のパン屋は対応が一味違うな、と感心をしつつ、お目当てのパンをトレーに乗せ、レジまで運んだ。

レジでの会計が終わった後、対応してくれた女性店員が、私の顔を見て声をかけてくれた。

「〇〇さん(私の旧姓)ですよね。私、昔バイトで一緒だった、△△です。」

彼女をよく見ると、2度目の就職前という思い出すのも苦しい20代に、バイトしていた飲食店で一緒に働いていた女性だ。
しかも約20年前に。

お互いマスクをし、制帽を被って目元しか見えない状態の彼女だったが、20年前と全く変わらず可愛らしいままだった。
しかも、声もまだまだ若々しく(普通は年と共に低くなっていく)、その空間だけタイムスリップしたような。

彼女もよく、私のことに気が付いてくれた。
その時の私は、来週の美容院まで我慢しようと、髪の根元の白髪をそのままにし、体重だってピーク時より10キロもオーバーしている。
マスクはしているものの、それ以外は誰がどうみてもおばさんだ。

客の私は声は発していないけど、それで判別できたということは、目元は意外と年を取っても変わらない、ということなのだろうか。

どうせ知り合いに会わないだろうからと、そんな時に限って、しわしわの洋服を着て出かけてしまっていた。
案の定、その知り合いにばったり会ってしまったけど。

少しだけ言葉を交わし、どうやらお互い近くに住んでいる、ということがわかった。
嬉しくて本当は色々話したいものの、ドギマギし、コロナ禍も考慮しなければ、と焦れば、うまく次の言葉が出ない私。
沈黙を避けるためにも「近所なので、又来ますね」と、急ぎの用事がある振りをして、後ろを振り返った。

丁度、清算をしようとする客が、何組かレジに向かっていた。
ここはショッピングモールのパン屋さんだし、良いタイミングだったな、とほっとしてしまった。

やっぱりダメだなあ、私、こういうところが、若い頃から変化なし。
久々に会った方に、気が利いた言葉で喜びを伝えたかったよ。
何なら、只今無職真っ最中だから、益々対応力が落ちている。

これを書いていてやっとわかったが、変わっていませんね、とか相変わらず若いですね、とか言えればよかったのだ。

多分、彼女も私のことを見て、昔から変わっていないなあ、と思ったんだろうな。
決して顔だけの話ではなく、雰囲気とか振舞とか。
まあ、こんなどうしようもない大人もいるわけですよ。

自宅に戻り、若い頃の自分だったら、絶対手を出さなかっただろう、ヘルシーさを感じさせるサラダパンをかじった。
あっさり加減がうまかった。又お店に買いに行こう。


この先どうなるんだろうと不安を抱えつつ、夕方にバイトが終われば、試験勉強のため通っていた図書館に向かい、その二つの場所を往復するだけの毎日だった二十代。
今日会った女性は、一緒に働いていた数年の間に、結婚をされた。

唯一の私の楽しみと言えば、社割で買えるアイスコーヒーで、酷使したのどを潤し、日替わりのサンドウィッチを、バイトの休憩中に頂くことだけだった。

ふかわりょうさんのエッセイで、いつか読みたいと思って、タイトルだけ丸暗記していたフレーズが、脳裏を過る。
「世の中と足並みがそろわない」

あの頃の私から見ると、今の私は、決してなりたかった大人の姿とは言えないし、やはり人の本質は年を取っても変わらないものだ、とシビアな現実を今日は見せつけてくれた。

だけど、思い返せば、そんな個人的な暗黒時代(というか今までほぼ暗黒)にも、転機があった。

後に結婚することとなる夫に、その時期に図書館で出会ったのだ。
彼もまた日々試験突破のため勉強のため通っており、お互いに存在を確認しながらも、机に向かってカリカリしたものだ。

就職氷河期真っただ中だった約20年前、図書館の勉強コーナーは、私と夫のように、公務員を目指して勉強をする同年代の男女が、日中にもかかわらずいつも満席だった。

いい年をした大人二人、同じ目標に向かう同志だと知った時は、心底嬉しくてしょうがなかった。

まあ、あの頃よりも、何かが進んだと思いましょう。