別れた旦那のお母さんから届いたしらすとビール

 コロナ禍のお盆は、めちゃくちゃに暑かった。部屋のクーラーが真夜中にぶっ壊れた。息ができない夢を見て目が覚めた。息ができなくて目が覚めることは、よくある。イビキをかくから、仕方ない。無呼吸症候群なのかもしれないけど、そんなことで医者に行くのは面倒だし、だいたい何科に行くべきなのかもわからない。調べることすら面倒臭い。

 コロナ禍になってから、もう1年が経とうとしている。昨年2月末に巨大な豪華客船でのパニックからじわじわと始まったウイルスとの攻防劇は、いつの間にかテレビの向こうの出来事ではなくなって、自分の生活の中にも侵入し、マスクデフォルト、1日の間に数え切れないほど手洗いうがいをし、ハンドクリームを塗り込むように消毒液で手もみする毎日になるなんて、一つ前の正月に初詣で呑気に家族の健康と自分の小さな幸せを願った時には想像していなかった。

 会社はリモートワークになり、一時期は24時間戦えますか的な忙しさで息ができないくらいな状態になったけれど、今はそこそこくらいの忙しさ。前の晩に炊いたごはんでチャーハンにすることが圧倒的に多い昼ごはん。日が沈んだ頃に少し散歩に出かけて、夕飯の支度をして、またちょこっと仕事をして、でも集中力が続かなくて、ネットフリックスを観てから眠る前にエイヤで企画書を片付ける。

 あんなに、外食したり旅行したり美術館に出かけていたのに、今や、家から外へ出ることが億劫になり、ポンポン気になったものをポチッと購入することすら勿体無くなった。思慮深くなったのか、単にケチになったのか。いや、少し景気が悪くなっただけ。

 夏のある日、別れた元旦那のお母さんから連絡があった。「一度は家族になった人だから。コロナは大丈夫?」死ぬほど暑い昼間、ちょうど四谷三丁目を歩いているときにそのメッセージは届いて、その瞬間暑さも周りの音もなくなって時間が止まった中自分だけ動いてるみたいな感覚になった。

 なんと返事を返したか覚えていない。たしか数日後に返したはず。送信済みメッセージを確認することが、なんだかとても難しい。

 離婚することを知らせたのは、私からだった。漁港で働くお姑さんは、いつも新鮮な魚とビールを送ってくれた。送る数日前に、必ず連絡があった。「週末届くから、食べてね」

 離婚しないで考え直してと、電話をくれたのもお姑さんだった。外に女ができて、認めたけど謝罪はなくて、家出しても迎えには来てくれなかった元旦那の代わりに引き止めにきてくれた。そして、いろいろ話して、泣きながら「幸せになるために、別れなさい。よく聞かずに引き止めてごめんやで」と最後に背中を押してくれた。

 今、私は幸せだ。独り身だけど、私を大切にしてくれる人だけに囲まれて、大切な人を大事にできる環境で。離婚はすごく辛くて大変だったけど、生まれてはじめて、自分で自分を大事にする選択をした。

 コロナは怖い。怖くて、ときどき寂しくなるから、結婚してた頃より前の、甘い恋愛を思い出して懐かしくなることもある。

 死ぬまでにもう一度くらい、自分でまた家族をつくれたらいいな。

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