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犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その1)

伊勢神宮は内宮、外宮とも、犬や猫を連れて参拝することはできません。伊勢神宮公式ウエブサイトの「よくあるご質問」にあるように、ペットは入り口近くにある衛士見張所で預かってもらう必要があります。衛士見張所での預かり料は無料ですが、内宮の近くには有料のペットホテルもあります。
なぜペットがダメなのか、明確な説明は書かれていませんが、歴史的に、特に犬の場合、境内でオシッコをしたりと神聖を汚す動物であるため禁忌とされていたのは事実で、おそらく今もその考え方が踏襲されているのだと思います。犬が境内に入れるか入れないか、これは宗教観の問題なので、正しいとか正しくないという議論はそもそも成り立ちません。

しかし、おはらい町や外宮参道のお土産物屋さんに立ち寄ると、「おかげ犬」という、伊勢神宮に参拝したという犬のぬいぐるみやお菓子が売られています。江戸時代には、こうして犬が実際にお伊勢参りに来ていたというのも、また事実です。
冒頭にアップした浮世絵は、歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」です、この中にも、首に注連縄のようなものを巻いた、参宮犬と思われる白い犬のお尻が描かれています。

江戸時代になって世の中が安定すると、全国から多くの参宮客が伊勢神宮にお参りに来るようになります。そのうちでも、数十年に一度、「おかげ参り」と呼ばれる、爆発的に参詣者が増加する現象が起こりました。
江戸時代の伊勢神宮は、国家主義で祭祀中心の現在のような堅いイメージではありません。おかげ参りは、それにまつわって人々に不可思議な出来事が次々起こる「神徳の発露」だと考えられており、伊勢神宮も盛んにそれを喧伝しましたし、人々もそれを信じてさらに多くが押し掛ける、という循環になっていました。

そうした幾多の奇跡譚、不思議譚をまとめた本に、外宮の神官であった度会重全があらわした「明和続後神異記」というものがあります。明和8年(1771年)の明和のおかげ参りを記録したもので、伊勢参りをしたために災厄を免れた、天災から命拾いした、病気が治った、長らく行方不明だった人に出会えた、などが多数しるされていますが、ここに参宮犬のことが書かれているので引用してみます。(読みやすく改変しています。)

4月16日丑の刻、上方より犬の参宮せりと市中賑えり。是を見るに、毛色赤白斑にして、小ぶりなる雄犬なり。折ふし山田筋向橋(やまだすじかいばし)の茶処において、参宮人握飯を施せるときなれば、彼犬にも與けるに、所人と同じく握飯を喰いて、真一文字に駆出し、外宮北御門口より手洗場に至り水を飲み、本宮に至り、広前に平伏して、真に拝礼の状をなせり。
常に犬は不浄を喰うもの故、宮中に入来る事を堅く禁ずといえども、此犬のさま尋常ならざれば、宮人等いたわりかかえて、御祓を首にくくり付け、放ち遣りぬ。其まま一の鳥居口より出て、内宮にいたる。内宮の宮人等此犬を見て、小児のたわぶれごとに、斯くせしものとや思いけん、杖にておいはらいけるに、本道の南より五十鈴川をわたり、ついに本宮の広前に至り、拝礼のさま、また外宮に同じ。宮人等驚き、追い出すにおよばざりしかば、本道を経てそれよりもと来しみちを帰り、山田上館蠟燭屋與兵衛という旅舎
(はたご)に至りぬ。
其辺の人々奔走して一宿させけるに、夜の明かた頻りに吠えける故、戸を開き見るに、忽ち飛出行くしか、つつがなく帰国せしとぞ。飼い主は山城の国久世郡槙の嶋高田屋善兵衛という者。その家名の木札を付けたり。
道すがら鳥目
(ちょうもく=一文銭)を與しものありしか、数百に及びたれば、途中その重きに労せん事をおもい、銀の小玉(こだま=小粒の銀貨)に替えて首にくくり付けたり。是を奪えるものもなく、或いは他の犬見ては必ず吠えかかり、噛み合うものなるに、かつて左の憂いも無かりけんとなん。
一説、ある大名家、此の犬の奇異を聴達し給い、養犬家に乞うて、東武へ牽連給いしと云えり。

京都府宇治市で飼われていた犬が、130㎞近く離れた宇治山田までやってきて、外宮と内宮を参拝(拝礼の状を)した。その間、神職はお札をくくり付けてあげ、周囲の旅人にはご飯やお小遣いの一文銭をもらい、それが多く重くなってくると親切な人がわざわざ両替してあげ、道中でそれを盗む悪人もなく、無事帰宅したというのです。

上方から宇治山田までは伊勢本街道などいくつかのルートがあった

この犬の様子は実際に多くの人が目撃していたことから、事実だったろうと考えられています。今から200年以上前の周囲の人々の優しさと、この犬の健気さには驚かされます。
(しかしながら伊勢神宮にとって、犬は「不浄を喰うもの」つまり、「土葬された遺体や動物の死骸などを咥えて境内に来るおそれがあるもの」でした。建前上あくまでも犬は禁忌であり、内宮の神職は職務に忠実に、この犬をいったんは追い払っています。)

この犬を先駆けとして、さらにいくつかの参宮犬のエピソードが文献に登場するようになります。
有名なのが、讃岐(香川県)から来たという「おさん」という犬、そしてなんと600㎞以上離れた福島県須賀川市からやってきた「シロ」という犬です。

(つづく)


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