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悲しみのひきだしの隣りは、幸せのひきだし。

悲しみを入れておく引き出しのラベルには

番号は書かれていないけど。

昨日の夜、またその引き出しを開けなければ

いけないことがあって。

ぽとりとそれをしまっておいた。

いつだったか、卒業式や入学式に馴染めないから

なんとなく桜はきらいっていう記事を書いた。

その時に彼女と交わした言葉が今も思い出される。

彼女が住んでいる北のほうでは、桜舞う頃の

卒業式はない。

桜前線って言葉は知っていたのに、まだ桜が

咲かない場所で暮している方に思いを馳せる。

そんな視点ががすっかりぬけおちた文章を書いて

いたことに気づいた。

誰かのことを想うときその想うタイミングが

たいていわたしはずれている。

そういうことを、いつもやわらかく教えてくれた

のが彼女だった。

土曜のお昼過ぎになってnoteを開くとだいすきな

尊敬する方からのお手紙が届いていた。

これは教養のエチュード賞に応募した方全員に

お手紙を書いてくださるという、嶋津さんの

やさしさとお心遣いに包まれた企画だった。

いつか頂けることを知っていたけれど

そのことはすっかり忘れていた。

思いがけない贈り物を頂いた気持ちがした。

檸檬の白いわたの部分が痛まないようにやさしく絞った
果汁と、おだやかな風味の和三盆、しゅわしゅわと炭酸
を注いだレモンスカッシュのような小説でした。

こんな素敵な言葉を誰かに贈ってもらったことは

かつてあっただろうかって思いながら大切に拝読した。

そして、昼下がりセミノールのフレッシュジュースを

飲みたくなって母の分と2杯分作った。

セミノールは、ダンカングレープフルーツと、

ダンシータンゼリンがマリアージュしてできたものらしい。

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セミノールを半分にカットしながらわたしは

ふいにさっき頂いた嶋津さんのお手紙のやさしい

文章の面立ちを思い出していた。

嶋津さんにお目にかかったこともないけれど。

嶋津さんがレモネードをつくる時、檸檬の皮のあの

わたの白いところをいつも気にかけながらこしらえて

いらっしゃるそんな所作まで目に浮かんでくるよう

だった。

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そして、ほんのりとしたうれしさがオレンジの

果汁を手に滴らせながら心までもが震えていた。

うれしさっていつも時差でやってくる。

はじめてnoteを読んで涙したのは嶋津さんの言葉

だった。

いつも彼の言葉は琴線と名付けられた線がわたしの

こころのどこにあるのかを教えてくれる。

そのことを言葉にしようとすると、とても容易く

ないのに、ただ甘美な時間がそこに訪れてくれる

ことをわたしは知っている。

嶋津さんが言葉を尽くして手紙を書いてくださった

ことがうれしくてわたしは2部ほどコピーした。

1部は今、相棒のDellのパソコンの隣に立てかけて

置いてある。

今日は書けないなって言う時に、そのあたたかな

言葉を眺めながら「なんとか書けますように」と

お守りのように持っておきたいから。

そして残りの一部は、noteのことを知らない母にも

読んでもらいたくて、そっと渡した。

母がゆっくりと嶋津さんの手紙のことばを目で

追っているのが分かる。

母が手紙を読んでいる姿はどこかかつてあった

時間に想いを馳せているようにもみえた。

手紙を読む姿ってそこに漂うものを引き留めて

いるようなそんな気分も満ちてゆく。

そして読み終えたあと、母はうっすら涙していた。

わたしは昨夜開けたあのかなしみのひきだしを

しずかにしめて、

となりあわせにある、しあわせのひきだしを

ゆっくりと開けた。

嶋津さんからの大切なお手紙を読ませて頂いた

時のあの温かさとよろこびをそこにそっと

しまっておくために。

いろどりが 移ろってゆく 彼方の景色
霞んでる せつなのなかに こころひそめて


 


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