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タイムラインに灯りを感じた夜。

タイムラインを何かに例えたら

川なのかなって思う時もあって。

穏やかな川の流れだと感じる時と

すこしその流れが激しく感じる時も

あって。

そして自分の心のバロメーターを測って

いる気持ちになる。

今日は午後8時ごろぼんやりと眺めて

いたら、タイトルや本文の言葉の中に

偶然、灯、灯りという言葉が並んでいた。


「生きているということ。それは誰かの元へ灯りを届けること。誰かの灯りを見つけてそこに進むこと。届いた灯りを受けて立ち続けること」

お母様を愛情深くユーモアも込めながら

描いた記事の冒頭で五輪さんの言葉が、

紹介されていた。

そしてもうおひとりは、お誕生日だった記事の

お礼の言葉から始まるそのタイトルで

灯りという文字と出会った。

記憶について書かれていて

思い出と灯すという言葉のマッチング、

そのふたつはとても相性がよくて。

灯すというその文字を見ているだけで

心が穏やかな気分になった。

夜も寒くなって灯すという漢字が、

タイムラインに流れついてわたしの

目に止まった時、温かい間接照明を

みているような気持ちになった。

昨日いろいろあって、心がざわついていた。

その言葉を放ったことが正しかったのか

間違っていたのか逡巡してしまうような。

わたしの言葉で誰かを傷つけたのでは

ないかとか。

そしてnoteにログインしてみたらそこに

思いがけず灯りを見つけた。

灯りっていつも思いがけないから

うれしくなる。

わたしが昔から好きな蝋燭の絵がある。

もう10年以上前、新聞で出会った。

IMG_20211026_214803ローソク

画家の高島野十郎さんの『蝋燭』。

若い頃から蝋燭ばかりを描いていたらしく

個展には一切出さず、どれも世話になった人に譲った

と記されていて。

わたしはその一行を読んだ時になんか

心の中をすんとした風が通り抜けるような

気持ちになった。

表現することに自信がなかったし

まして発信することは縁遠いと

感じていた頃だった。

ゆらぐ炎の光をその画家は生前誰にも

見せることがなかったのだなって思うと。

表現とか創作の奥行きの深さも感じて

しまう。

ほのおの揺らぎ。

静止しているのにゆらめきを感じて、

最近のこころのゆらぎのままに

この絵を眺めているとやはり

なぐさめられてる気持ちになる。


もうひとつ好きなのは電球の灯りだ。

わたしは灯りの中でも間接照明が

こよなく好きで。

蛍光灯は好きになれない。

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これは、インゴ・マウラーという

ドイツ生まれのデザイナーの方の

『ルチェリーノ』という作品。

ん? ん?

電球に羽根をわざわざつけるそのアイデアが

突拍子もなくて、たまらなく好き。

見慣れていたはずの<電球>がいつもと

ちがう。

むきだしの真鍮のワイヤーが赤と青、

ねじれるようについている。

まるでその姿のまま、どこかへと飛んで

ゆきたいと言ってそうな。

「ルチェリーノ」とは、<ルーチェ>(光)と

ウチェリーノ(ちいさな鳥)というふたつの

イタリア語の造語らしくって。

鳥と光。

光も鳥も飛ぶ。

そういう作品の後ろっ側の由来のような

ものを知るとさっきまで見ていた世界とは

ちがう表情がみえてくる。

<炎はそれが空を飛ぶものであるがゆえに、1羽の鳥である>
                 ガストン・パシュラール

しばらくこの言葉と翼をたずさえた電球を

交互にみながらぽかーんとしてしまった。

ゆきずりに読んでいる人々をいきなり

こことはちがうどこかへとつれていって

くれる。

そして気づく。

そう、どこかにわたしは行きたいのだと

いうじぶんの心を知ったような。

そして以外にも羽ばたきたいのかも

しれないと。

そして羽ばたきながらも、ちゃんとあるべき

場所に着地してみたいのだと。

悩んでますね(笑)

みていた世界のもっとむこうを見せて

くれるようだった。

翼が生えてしまった<電球>は、かつて

ランタンだった頃の記憶をどこかにしまい

こみながら今頃だれかの部屋の片隅を

照らしているのかもしれないと、

想像してみたり。

noteで出会った灯すという言葉とともに

わたしの心にも今、一瞬のあかりが灯された

気持ちがしている。

いつからか 翼が生えた 飛ぶものたちを
鳥とよぶ みえない翼の そら飛ぶほのお



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