見出し画像

本 「奇跡のリンゴ」

すごい本だった。


何氣なく読み始めたけれど、
歴史小説のような
重みと深みと学びの深さに溢れていた。


そして哲学書のようでもあった。


「竜馬がゆく」や「三国志」のように。


だけど自然と向き合い、
自然から学びながら
生きるということ自体が
人間にとって
哲学の道なのかもしれない。


農家というのは、農業を通して
人間が自然と共に生かされながら生きていく道を
その身を持って耕していく仕事なのかも知れない。


「奇跡のリンゴ」石川拓治 著 幻冬舎文庫


リンゴを無農薬で栽培するという
当時の「絶対不可能」を覆した
木村秋則さんについて書かれた本。


この本の初版は平成23年。
12年前だ。


当時も話題になっていたと思う。
確か映画にもなっていたし。

だからわたしもこの本の存在を
当時から知ってはいた。

でもその時は、この本を手にとってはいなかった。


それなのに今。

自分にとってのタイミングって本当に、
いつになるかわからないものだ。


ところでわたしには、
農業とか農家さんというものに知識がない。


だから木村さんの苦労や、
成し遂げたことの凄さの

何がどういう風にどれだけすごいのか
まったく想像が及ばない中で

ちょっとしたノウハウ本を読むような
氣楽な氣持ちで本を開いた。


そしてほんの数分で、
この本の持つ底の深さに引き込まれ

氣がつけば静まり返った心の中を
本に綴られる言葉だけが響き渡っていった。


元々は機械いじりが好きな
農家の次男坊として生まれた木村さん。


農家は兄が継ぐので、
青森から川崎に就職し
経理の仕事をしながら
趣味でオートバイなどの機械いじりをしていた。

ところが兄が自衛隊のパイロットになりたいと言い出し
急遽実家から強制帰還命令が出される。
昭和30年代の話。
今よりずっと、親の命令は絶対だ。

ところがその兄も、
少しすると自衛隊を辞めて農業に復帰。

だが木村さんの方も小学校の同級生と結婚し
妻が農家の長女であったため、
リンゴ農家の婿養子に入る。


結局、農家として生きることが木村さんの
運命であり、使命であったのかも知れない。


そこで通例の農薬を散布するリンゴ栽培を行っていた。


ところが妻が農薬に敏感な体質で、
農薬散布の度に、寝込んでしまう。


これはなんとかしないといけないと思い
リンゴを無農薬で育ててみようと挑戦を始める。


それが苦労と苦難の
遠くて長い道のりの始まりだった。


リンゴの栽培は、1年に1度しか結果が出せない。


それが農業の難しさで
思いついた様々な方法を色々試したいと
30回の挑戦をしたとしても
それには30年かかってしまう。


前例のない農薬を使わないリンゴ栽培は
先人のノウハウもない中
自ら試しながら実施するしかない。


木村さんのリンゴの木は次々と弱り、
病氣になり、
花がつかず、
実がならない。


それが何年も続く。


世間がバブルで華やいだ時期も
一家の生活は貧窮を極める。


だけどすごいなと思うのは、
偉業を成し遂げる人の後ろには必ず、
それを支えた人がいることだ。


木村さんも例外ではない。

リンゴの木を、よもや全滅させかねず
娘や孫たちの生活を貧窮にさせている木村さんを
義父は、内職までして支えてくれた。


そして「あんな婿は追い出せ」と言ってくる
親戚たちの盾になり
いつも木村さんを庇い、
無農薬栽培への挑戦を続けさせてくれた。


木村さんが「もうやめようか」と
こぼしたことを知った
当時子どもだった長女は
「そんなの嫌だ。そうしたら私たちはなんのために貧乏なの?」
と言った。


木村さんの夢は、家族の夢にもなっていた。


そんな木村さんは、その責任を誰よりも強く感じていた。


農業の出来ない冬場は
川崎まで出稼ぎに行き
宿泊費が勿体無いので
1ヶ月も2ヶ月も公園で寝た。
寝ている間にお金を盗られたりもした。


きっと大げさでなく本当に
「石に齧りついても」の執念で
挑戦に挑戦を重ねたが
遂に木村さんはある時、命を絶とうとする。


ロープを持って山の中に入り
死を決意した木々の中で突然
木村さんは今まで氣がつかなかった事実に、
忽然と向き合う。


森の木々は農薬など必要としていない。

どうして今までそれを不思議に思わなかったのだろう?


自然の植物が農薬の助けを借りずに育つことを、
なぜ不思議に思わなかったのだろう、と。


それが転機になった。


木村さんは山を降りた。


そして野生の木と、畑の木の
決定的な違いに氣がつく。


土だ。


土が違う。

この柔らかな土は、人が作ったものではない。この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作なのだ。
(略)
自然の中に孤立して生きている命はないのだと思った。ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きてきた。そんなことわかっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。自分は農薬のかわりに虫や病気を殺してくれる物質を探していただけのことなのだ。堆肥を施し、雑草を刈って、リンゴの木を周囲の自然から切り離して栽培しようとしていた。リンゴの木の命とは何かということを考えていなかった。農薬を使わなくても農薬を使っていたのと同じことだ。

「奇跡のリンゴ」P159〜

そこから木村さんの自然栽培が始まる。

リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、独りで生きていると思ってる。そしていつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使うことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。

「奇跡のリンゴ」P165より

読んでいて途中から
これはリンゴの木の話なのか
人間の話なのか混同してきた。

でもどちらも同じなのかもしれない。


どちらも命で、どちらも自然なのだから。


自然を大切にとか、
自然と共存をとかいう前に
そもそも人間自体が自然の一部だ。


自然とは戦ったり、
征服したり、
打ち勝ったりするものじゃない。


多くの微生物や昆虫や雑草や雨風が
リンゴの木と繋がりあって生きているように
人間もまたそのうちの1つとして
すべての自然の一部なのだ。

無数の命が繋がりあって絡み合って存在している。
自然の中で孤立している命など存在しない。


どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていくことは出来ないんだよ。だって人間そのものが、自然の産物なんだからな。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。

「奇跡のリンゴ」P245より


人に歴史あり。


すごい本だった。


何氣なく読み始めたけれど、
歴史小説のような
重みと深みと学びの深さに溢れていた。

そして哲学書のようでもあった。

だけど自然と向き合い、
自然から学びながら
生きるということ自体が
人間にとって

哲学の道なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?