望まない改姓、名もない一会社員にデメリットなんてあるの?

 ずうっと選択的夫婦別姓を支持し続けている。本当に、変わってほしい。


 姓を変更することのリスクはすごく過小評価されていると思う。「経営者とか研究者とか、『名前』そのものに意味があるようなすごい人でなければデメリットなんてたかがしれてる」と思われているから、選択的夫婦別姓を望むと「経済的な損失」の問題ではなく「わがまま」と言われる。

 けれど、実際に自分が姓を変えて一会社員として被った損失は、大きな経済で見たら微々たるものでも確実に存在した。


 他部署の人は私を見つけられなくなった。社内の広報で姓を変えたことを告知されても見ている人、覚えている人は限られる。かといって面と向かって伝えるほどでもない。そういう人たち、特に他部署のお仕事関係者の人は、私の姓が変わったことを知らない。そうして私の内線番号を調べるためにシステムを開いて、探してくれて、困り果てる。

「検索しても出てこないから辞めたのかと思った」

「見つからなくて困った、部署リストを先頭から見て顔写真でやっと見つけた」

 変えたくもなかった姓を変えたことで明確にデメリットが存在していることが突き付けられたひとつの例。実害が発生している、と苛立った。


 ほかにも、私はシステムエンジニアで、コーディングにもドキュメントにも名前を残すときに、新しい姓を打ちながら、「昔のドキュメントについて聞きたいことがあったときに、その人は私を見つけられるだろうか」と、過去の自分と今の自分の断絶を思った。

 大した業績ではなくても、確実に自分の積み上げてきたものが確実に途絶えていく感覚。その感慨は決して致命的ではないけれど、確実に心に刺さって、そのままどんよりと重たく積もっていった。


 生産性、経済性、そういった、お国の大好きな要素に絞ってみても、確実にマイナスの影響がある。けれど、彼らはそういった個々の歯車の小さなプラスマイナスなど大したことはないと思っている。ばらばらに散らばっているから見えづらい。目を向ける気もなければ存在しないのと同義になる。

 それでも、名もない個人はこの世にどれだけいる。その人たち自身とその周囲に積もったマイナスは、足しあげてみれば、いったいどれだけになるのだろう。


 私が姓を変えて半年後、社内で旧姓利用ができることになった。なんでもっと早く導入してくれなかったんだろう、と悔しく思ったけれど、一度変えてしまっても戻した人がいるよ、と直属の上司が教えてくれた。すぐさま戻す手続きをした。

 今、元の姓に戻して働き出して一か月が過ぎて、確実に感じるのは、軽やかさだ。署名をするときの迷いのなさ。過去とちゃんとつながっている感覚。「途切れてしまう……」というモヤモヤを感じる余地がなくなると、こうも違うのかと思った。

 さらに、結婚をする前から築いていた自分と地続きに戻って、信頼感や自信が背中を支えてくれている感覚がある。婚姻届けを提出したことで、仕事でも生活でも急に、今まで「自分」と認識していたものが公的に「自分」でなくなった。かといって新姓もすぐになじめず、「自分」ではなかった。寄る辺のない感覚だった。それが、仕事の場だけでもなじんだ姓を「仕事という公で自分として名乗れる」。地続きの自分が今も存在している気持ちになった。


 姓を変えることは、名もない一会社員でも、生産性にこれだけ影響がある。姓を変えても経済活動に支障がないなんていうのは実態を知らない人間の言葉だ。

 これは「職場で旧姓を使えればいいのでは?」という話をするために会話竹ではない。姓を変えることマイナスについて、お金が絡まないと認識できない層に向けて「損失がありますよ」と伝えるものであり、同時に「同性強制のデメリットはごく一部の人間の話」のではなく「誰であってもマイナスの影響が発生しうる」を伝えるものだ。

 「自分の使いたい姓を選び、自分の人生を自分らしく生きることができる社会」は誰かを損なうものではない。一方に寄るマイナスを、そもそもなくそうというものだ。

 ついては、それでもなお「自分には問題がないから問題ではない」などという狭い視野の方々が、早く変わってくれることを切に祈っている。

 

 

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