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121 先生がだまされるのはいけないことか

無断欠席の女の子たち

数年前、ウチのクラスの子が連絡もなく学校に来ないことがありました。家も連絡がつかない。確か家族はみんな勤めに出ていて日中は連絡がつかなかったはず。何度かけてもつながりません。女子生徒です。

同じく、他のクラスでも連絡なしの生徒がいました。彼女も連絡がつきません。心配していました。どうしたんやろ……。

推理する先生たち

ある先生が「これ、ズル休みちゃうか。二人で遊んでるんやで」と僕の予想もしなかった推理を始めました。周りの先生も同調。「まあ、そういうこともあるわな」とよくあるケースだと口々に話していました。

僕のクラスの子はサボる子じゃありません。まさかそんなこと。いつも愛想もいいし、こんな休み方したことない。サボるというのがイマイチつながりませんでした。

僕はだまされた

次の日だったかな、その日だったかな。彼女たちになぜ学校に来なかったかを聞くことになりました。無断ですから、理由を聞くのは当たり前。本来なら担任が聞いて終わりですが、例の推理もあって、ちょっと詰めて聞いてみようということになりました。僕は「担任が聞いてるんやし、もうこれ以上何もないよ」と思っていました。そう、いました…。僕には「頭痛でずっと寝ていました」と話してくれたのです。

女性のベテランの先生が改めて問いただすと「すいません、二人でサボろっかという話になって遊んでいました」と、僕とは違う話をし始めたのです。ショックでした。

その子に「信じてたんやけどな。ウソ言われてたんやな。めっちゃショック。いいよ、サボってたって言ってくれたほうが。ダメージでかいわ…」ずっとその子は泣いていました。僕は心の中で泣きました(笑)

同じことを繰り返す愚かさ

こういうことが僕にはよくあります。信用しすぎて、まんまとだまされる。僕の甘いところです。手強い相手ならハナから疑って、カマをかけたり、しつこく訊いたりします。「俺のこと信用してないんか!」とまくしたてるような元気な子もいました。「当たり前じゃ。普段どんなことやってきとんねん。どの口が言うとんじゃ」みたいなやりとりも、かつてはよくありました。僕が間違っていたら謝ります。でも、だいたいはこういうときは僕が正しい。

こういう勘は冴えていました。今はもう鈍っていますが、その代わりに、「信用してるよ」とひとえに訴えかけ、だまされてもいいかなと思って今は関わっています。実際、他の先生の迷惑になるかもしれませんが、僕はこういうやり方で生徒と関わります。

愚かさは信頼の証

考えようによっては、とても愚かなミスの繰り返しのように見えます。でも、生徒の言うことを信用して、それでだまされたなら生徒にもう一歩踏み込んだ話ができるように思うのです。信用している人を裏切って、いい気持ちになるのか。そういう迫り方ができます。響かない子もいます。でも、それをひたすら繰り返すのです。

「先生、明日からちゃんとするから」と涙を流して反省の弁をたれた子が、次の日に早速授業を離脱して好き勝手やっていることが何度もありました。ショックでした。でも、「ちゃんとする」っていうならそれに賭けてみたい。そうでないと、この仕事で子どもと関わる意味がないと思うのです。

「先生は俺のこと信用してくれたよな」と言われる1回のために、貴重な犠牲を払い続ける。ブラックな業界ではありますが、砂漠にダイヤモンドを見つける日もあります。

信じたら最後、だまされてもいい。ええカッコしているようですが、そう思って関われるようになりました。疑ってた、ごめん。こういうことも言えるように。少し長く子どもたちと関わると、こういうやり方が自分にはしっくりくるようになりました。

他の人からは甘やかしているように見えるかもしれません。見る人が見ればわかる、プロの技を磨いていきたいと思っています。

スギモト