見出し画像

トーテムポール

今回は私が通っていた小学校の思い出話です。

その小学校は1893年、明治26年創立の古い学校でした。
学校の敷地の北側には広い県道が通っていて、私が通っていた当時は、学校の正門はその県道に面した側にありました。

正門を入るとすぐ右側に、二宮尊徳像があり、その背後には木造の講堂が建っていました。
学芸会や映画鑑賞会、入学式や卒業式のほか、室内運動場として体育館がわりにも使われていた大きな建物です。

その講堂の北側、学校のブロック塀との間に、庭とも呼べないようなわずかなスペースがあり、数本の松や灌木が植えられていました。
そして、それらに混じって直径20センチ、高さ1メートル半ほどの丸太を加工したトーテムポールが5本、コデマリやナンテンの木々に隠れるように設置されていたのでした。

いつの頃かはわかりませんが、卒業記念に生徒たちの手で製作されたもので、1本の丸太の両側に、片側5人ずつ、合わせて10人分の卒業生の自画像とおぼしき顔が、一列に彫られていました。

建てられたときには、きれいに塗られていたであろう赤や青の色も、全体に剥げたり薄くなったりしています。
彫られている顔はどれも笑顔ではありましたが、北側の仄暗い狭庭(さにわ)の木々の間から、それぞれ微妙に傾きながらこちらを覗くトーテムポールの顔は、彫りの稚拙さも相まって、なんともさびしげで気味の悪い光景だったのを覚えています。

私が6年生のときのことです。
クラスにTさんという女の子が、東京から転校してきました。
色白で細面の、竹下夢二が描く女性のような顔だちの、独特な雰囲気のある大人しい子でした。

話す声も小さく、休み時間には一人ぽつんと席についたまま本を読んでいたり、給食のあとの長い休憩時間には図書室に行っていたりして、同級生と話したり遊ぶことはありませんでした。

最初は東京からの転校生ということでチヤホヤしたり、いろいろとちょっかいを出していた男子たちは次第に興味を失っていきました。
女子たちにはというと、Tさんの態度がどこかお高くとまっているように見えたのでしょう、リーダー的な数人を中心に、しだいにイジメの対象にしはじめて、担任の先生から注意をうけるほどになっていったのでした。

そんなある日、休み時間にTさんの姿を、トーテムポールのあるあの庭で見かけたという噂がどこからともなく流れてきました。
しかも5本のトーテムポールに向かって、それぞれなにやら話しかけている様子だったというのです。
ふだん生徒たちがめったに行くことのない場所で、謎の行動をしていたTさんの噂はクラス中に広まり、よけいに仲間外れやイジメが増えていったのでした。

しかし、そんなイジメも長くは続きませんでした。
噂が広がり始めて数週間のうちに、Tさんをいじめていた女子数人が相次いで、ケガや病気で入院する事態になったためです。
そして、まるでそれらを見届けて満足したかのように、Tさん自身も突如転校してしまったのでした。

それ以来、休み時間にあのトーテムポールに、呪いたい相手の名を囁やけば願いが叶うという噂が、クラスから学校全体へと広まっていきました。
なかには噂を信じて実際にやってみた子も何人かいたようで、ついには週始めの朝礼の時間に、校長から直々に禁止のお達しが出たほどでした。

しかし、私が卒業するころには、更にいろいろと尾ひれがついて、
「水曜日の2時間目と3時間目のあいだの休み時間に、だれにも見られないように一人で講堂の北側の庭に行って、5本のトーテムポールにそれぞれ3回ずつ、呪いたい相手の名を囁やけば願いが叶う」という、まことしやかな噂が囁かれるようになっていたのでした。

Tさんが実際に呪いをかけたとは思えませんが、彼女の謎の行動と偶然が、はからずも新たな学校の怪談を産んでしまった、そんなお話でした。
ちなみにトーテムポールは、噂のせいでしょうか、私が卒業してまもなく撤去されてしまったそうです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百八日目
2024.3.23

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?