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行きて帰りし物語 ー映画「マッドマックス 怒りのデスロード」


久しぶりに『マッドマックス 怒りのデスロード』を観た。落ち込んだ時、上手くいかない時にマッドマックスを観ると、「死にたい…」から「殺す!!!!!!!!」になるのでおすすめである。何事も死ぬ前に殺すか逃げるかしなければならない。映画のなかでダントツで好きな作品で、もう20回くらいは観てる。

この映画は「砂漠を行って帰ってくるだけの話」とよく言われ、本当にその通りだ。舞台は放射能汚染後の砂漠化し荒廃した世界。武装集団「ウォーボーイズ」に捕まったマックスは、イモータン・ジョーが支配する砦(Citadel)に囚われる。ジョーに仕えていた女戦士・フュリオサは反旗を翻し、ジョーの5人の妻たちとともに故郷"The Green Place(緑の地)"への逃亡を図る。マックスは自身の逃亡のため、フュリオサ達とともに緑の地を目指す。

ぶっ飛んだ世界観とCGをほぼ使わないド派手アクションに「頭をカラッポにして観れる映画」とも言われるが、実は(散々評論されている通り)ものすごく緻密で深い含意に満ちた映画でもある。一回観て「面白かったけど、なんだかよくわからんかった…」で終わってしまったあなたにこそもう一回、いや三回くらいは観てほしい。シンプルなシナリオと少ない台詞にも関わらず、一つ一つのモチーフに深い意味が込められている。マッドマックスは現代の神話である。

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これも散々言われていることだが、この映画を貫くものは「人間の尊厳の回復」である。

そもそもこの逃亡劇の推進力になっているのが"We are not Things(私たちはモノじゃない)"という言葉だ。イモータン・ジョーの妻たちは健康な身体を維持するために豊かな暮らしをしているものの、「子産み女」と呼ばれ、文字通り「子供を産む機械」として扱われている。彼女たちは安全な暮らしを捨てて、人間として生きるためにフュリオサとともに決死の逃亡を図る。

だが、彼女らは逃亡を繰り広げた後に、再び元居た場所に戻ろうとする。そのわけは後述するが、この「行って帰ってくる」構造が、この映画において一番大切なポイントだと思う。行き道と帰り道で映画の構造が反転し、同じようなシーンが描かれながらもその意味が代わり、作中人物たちが「モノ」から「人間」に描きなおされるのである。

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それを一番象徴するのが、ウォー・ボーイズのニュークスだと思う。ウォー・ボーイズは放射能汚染のため寿命が短く、彼の首には大きな腫瘍があり、もうすぐ命が尽きようとしている。彼はジョーのカルト宗教を信じ、"ヴァルハラ(英雄の館)”に行くために戦いのなかで勇敢に死ぬことだけを夢見ている。彼はマックスを道連れに死ぬために"Witness me!(俺を見ろ!)"と叫びながら自爆しようとするが死に損なう。しかしなんやかんやあってジョーの妻のケイパブルといい感じになり、最後は彼女のために犠牲になる。彼女の目を見つめて、"Witness me."と同じ言葉を囁きながら。

マックスもまた、"Blood pack(輸血袋)"として捕らえられ、ウォーボーイズに血を与えるただの道具として扱われる。しかし砦に帰る途中、彼は自ら負傷したフュリオサに輸血をする。輸血袋としてではなく、人間として。そこで彼は初めて自分の名前を彼女に告げるのだ。

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「行って帰ってくる」ことの中心点となるのが、"home"という言葉だ。

フュリオサと女たちは"The Green Place(緑の地)"を目指して逃亡を図る。そこはフュリオサが生まれ、砦に連れ去られるまで住んでいた、緑溢れる理想郷だ。彼女はそこを"home"と呼ぶ。

しかしその場所に着き、かつての同胞と再会した彼女は、"home"が他の土地と同じように荒廃し不毛の地となってしまったことを知る。自分の故郷を失った彼女は絶望し、目の前に広がる塩の湖(*干上がった海)を渡って新たな土地を求める旅に出ようとする。

そんなフュリオサに、マックスは地図で砦を指さして言うのだ。"This is the way home.(これが故郷だ)"と。
自分たちを捕らえるために戦士たちが出払っている今、ジョーらを倒して自分たちが砦を占拠するしかない。ありもしないどこか遠くではなく、元いた場所、あの邪悪な砦こそが、我々の"home"なのだ、と。


思えば、全ての映画、全ての物語が、なんらかのかたちで「行って帰ってくる」ものだと言える。最初の状況(日常)から事件(非日常)が起こり、それを乗り越えて、最初とは少し違う日常に再び帰ってくる。

私たちが生きることもそれと同じだ。「ここではないどこか」を求めて非日常を彷徨っても、そのまま遠くの理想郷的な場所に留まることはできない。私たちは帰ってこなければならない。どこへ?自分自身へ、である。どこへ行っても自分から逃れることはできないのだから。

「マッドマックス 怒りのデスロード」の冒頭、このような文章が映し出される。

'Where must we go...
We who wander this Wasteland in search of our better selves?'
The First History Man
(*字幕:約束の地はあるのか? 自分を探し求め、さまよう。この荒野の果てに 歴史を作りし男)

"約束の地"は、フュリオサの求めた"緑の地"や、ニュークスの求めた"英雄の館"のように、ぼんやりと遠くにある理想郷ではない。遠くを彷徨った末に、自分自身、自分の近くにあるのっぴきならない状況と格闘することによってのみ辿り着くことができる場所なのだ。


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久しぶりにマッドマックス観たけどやっぱり最高だ…。ブラック&クローム版もめちゃくちゃ良い。一晩中マッドマックスのことだけを話す飲み会がしたい。

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