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ワークショップは学びと創造の場

●普段意識しない、認識の”ズレ”に気がつく

ワークショップでは、協働の過程で、自分と他者との認識の“ズレ”を感じる。この“ズレ”がワークショップにおける最大のポイントだ。
人は日常生活の中で、他者とのズレをあまり意識しない。だからワークショップではじめてこの“ズレ”が表出した時に、違和感やモヤモヤ、時としてイライラを感じる。特に「自分と環境が似ている人」と認識がかみ合わなかった時にそれが起きやすい。
もし相手が外国人のように、自分とバックグラウンドが全く異なる相手であれば、考えや意見が全くかみ合わなくても、そこに腹を立てずに受け止めることができるだろう。ところが日本人同士だと「相手は自分と同じ価値観を共有しているはず」という思い込みがあるから、小さな違いも許容できないことが多い。
その時に、相手を否定せずに一度受け止めることが必要だ。だが相手に同調する必要はない。ズレがあることをお互いが共通のこととして受け止め、相手を理解するのである。この工程がなければ、どちらかが、もしくはお互いが強いストレスをかかえたままになる。肝心なのは、お互いの思考を共通の場に投げ出してぶつけ合い、お互いに新しい思考形態を形成することである。このコミュニケーションの形が「対話」(ダイアローグ)である。
対話がなければ、他者との間にズレがあることすら気がつかない。そして、ズレを認識することは相手の思考を知ると同時に、自分の思考や感情のクセを知ることができる。少し大げさにいえば、参加者がオープンマインドで臨めば、他者と交わることで、ワークショップの後、変化しているのである。これは「知識の意味は(中略)他者とのコミュニケーションを通して構成されるもの」という社会構成主義の学習観を体現している。

●創造的なアイディアを生み出す

「創造」もワークショップの側面である。実際にここ数年、ビジネスシーンでもワークショップの有用性が言われるようになってきた。しかし、特に日本の伝統的な大企業で行われる場合、参加者同士の対話がしっかり行われていない印象がある。それは、限られた時間内にアウトプットを出さなくてはいけない、という目的もあるのかも知れないが、「どんなズレも受け止める」というスタイルに日本人(特に年長者)が馴染んでいないということが大きいように思う。同調型・協調型の察し合う文化の中で育ってきた世代は、異なる価値観を理解することを経験していない。人によっては、自分の価値観を相手に理解するよう説明することすら慣れていない人もいる。だから、外側だけワークショップの体裁をとっても、他者理解が不十分なまま、協調型の合意形成で終わってしまうことが多い。それだと、アウトプットも声が大きい人の意見に左右され、結果的に個人ワークとあまり変わらなくなってしまうことが多い。
ワークショップがうまく機能するには、全員が思っていることを遠慮なく言えて、かつ、他者の意見を尊重する空間である必要がある。繰り返しになるが、そこで参加者は他者との関係を通して自分自身をもっと知るようになり、もう一段深い考えが出てくるのである。そうすると、もともと持っていたアイディアもより深みのあるものになり、他の人との合意形成も、よりお互いが納得する形で進められるはずだ。そうやってチームで醸成されたアイディアであれば、元々個人で持っていたものよりも、価値があるのではないだろうか。
つまり「ズレ」を認識して他者と自分の思考や感情を知る、という学びのプロセスがあってこそ、創造的なアイディアが生み出されるのである。

#ワークショップ #ダイアローグ

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