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329日目(ぐずる子どもを楽しい気持ちにさせて保育園まで行く方法)

「今日は保育園だよ」

「行かない!おうちにいる!」

こんなやりとりから始まった祝日明けの木曜日。さあ、どうしたものか

妻をあっさり見送る

いつもなら、

「母ちゃん送りにいく」

と言いだすの次女だが、今日はあっさり

「バイバイ。」

母ちゃんになんともそっけない態度。昨日はずっと「母ちゃんがいい」と言い続けて、長女が一緒に遊ぼうとすると突っぱねる始末だったのに。

妻曰く、

「きょうは昨日よりはゆっくり遊んでないからかなー」

難しいお年頃だ。

問題のすり替え

「いっちょにみよ。」

朝のEテレを鑑賞していると、あっという間にお出かけの時間。

「バスで行く?車でいく?」
「行かない。公園いく」

問題をすり替えているのをあっさり見破れ、さらに別の提案をされるという始末。

「公園行ってからバスに乗ろうか」
「行かない、公園いく」

仕方ない、提案に乗るしかなさそうだ。

登っては降り、ぐるぐる回る

「じゃあ公園いこうか」
「いくー」

近所の公園へ、保育園の荷物を持ちながら三輪車を引っ張っていく。

公園の外側には昨日忘れていったストライダーもどきが落ちている。しまった、回収し忘れていた。三輪車からストライダーもどきに乗り換える娘。とりあえず、この二台は後で回収しよう。

公園に入るとまず次女はお山(富士山の形をした滑り台)へ。

「いっちょにいこ」
「よし、父ちゃん先にいっちゃうぞ」

開き直って、荷物を放り出し、小山に登る。上からすべる。三度ほど繰り返し、しれっとしたから眺めていると今度は

「ブランコのるー」

今度はブランコかー。先は長そうだ。

「もっといっぱいおちて」

久々のブランコに興奮したのか(あれ?昨日も乗ってたっけ?)高く上がるまで押すよう要求。

「たかいー、ぎゃははは」

次女のでかい声が無人の公園に響く。めちゃ元気。満足するまで押すしかなさそうだ。

しばらく押し続けると、今度は普通タイプの滑り台へ。こちらも登っては下り、登っては下りの繰り返し。

少し離れて見て、二つのことに気づいた。

○とにかくぐるぐる回っている
○登って降りての繰り返し

しばらく見守ると、もう一度お山へ。やっぱり登っては下り、を繰り返す。そしてぐるぐる回っている。

さらに、公園にもう一つある、アスレチックについた小さい子ども用の滑り台へ移動。

ところがである。その滑り台は、朝露のせいか、少し濡れていた。そのことに気づいた次女は立ち止まる。

「そろそろバス停いこうか」

このタイミングしかないと思い、さりげなく抱っこして公園を出る。見事に作成成功。抱っこのままバス停へ。

「バスさんお風邪ひいてないかなぁ」
「今日はきっと元気だよ!」
「ほんとー?やったー!」

すっかりやる気を出し、ウキウキでバス停へ。バスに乗っても終始ごきげん。保育園の前の坂も走って登り、保育園へ一直線。

ぐるぐる回る〝セラピー〟

最近とても面白く読んでいるこの本には、セラピーケアのことが書いてある。

「セラピーの時間はぐるぐると回りながらも右からひだりへと流れていきます」
「セラピーでは、Aという状態からBという状態への移行することが目的」
セラピーでは(ケアと違い)痛いところに触ります」

セラピーは、痛いところに触り、ぐるぐる回りながらも変化を促す行為であるということがなんとなくわかる。 
(一方で、「ケアとは傷つけないことである。」らしい)

そう、私は今日次女と過ごした時間はセラピーだったのではないか。

次女にとって保育に行くという行為は必ずしも喜ばしいものではない。それを提示されて素直には受け入れられないものだ。

しかし、である。口では「行かない」と言いながらも、心のどこかでは行くことと向き合っていたのだと思う。

それは、単に私の都合にあわせてくれていたのかもしれないし、バスに乗りたかっただけかもしれない。あるいは、保育園に行くと何か楽しいことがそれなりにあるのかもしれない。それは次女にしかわからない。

でも、心は確実に動いた。次女の公園遊びに付き合った私が見ていたのは、次女が心を動かそうとしているその瞬間だったのかもしれない。

おかえり

お迎えに行くと満面の笑みで走ってくる次女。いつもと変わらない。

でも、四月に通い始めた頃に比べて、園で過ごしている様子を詳しく話してくれるようになった。

お弁当は全部食べたか、だれと、どこで何をしたか、友だちや先生の名前もたくさん教えてくれる。

日常はぐるぐる繰り返す。毎日特別、目新しいことが起こるわけではない。それでも少しずつ何かが進む。

いつか私たちは愚に帰る日が来ても、こころは誰かに受け継がれ、歩み続けていく。

小さな〝おかえり〟は次の〝いってきます〟につながって、大きな〝おかえり〟と〝行ってきます〟を作っていく。それはまた繰り返される。

公園でのぐるぐる回る時間は、きっとそんな時間の一部だったのではないだろうか。



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