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313日目(薄皮饅頭とこころの発達にまつわるフィクション)

子ども食堂でのこと。
男の子が不遜な態度で絡んでくる。

「なんだばかやろう」

人生ゲーム

わたしはそういうノリが嫌ではない。

「何か言ったかー?」

ふざけて同じノリで言い返した。

子ども食堂で食後に行われた人生ゲームの最中であった。こうたくんは初めから参加するつもりだったのだが、少し遅れて途中から参加していた。

みんな、コマを動かしたり、お金を渡したり、カードをもらったり、忙しなく動いていた。

わたしがふざけて言葉を返した直後、こうたくんは、

「っていうか、ちょっとやめたいんだよね」

あれ、何か変なこと言ったかな?
内心そう思いつつ、みんなに必死でお金を渡す作業に追われていたわたしは

「やめるの?」

と一言。

「うん、やめるわ」

こうたくんは去っていった。

「そうか、じゃあねー」

反射的に出た言葉が、しばらく宙を彷徨っていた。6人から5人に減った人生ゲームは、長続きしなかった。言い出しっぺのたけしくんもまた、疲れたのか、やる気がなった。

他の子どもたちも、そこまでこだわりなく人生ってゲームは終わった。

まだ序盤であった。

ゲームの終わりの意味

こうたくんはいつも二歳の次女をよく可愛がってくれる。

一方で、小学生の長女に対しては少しあたりがキツい。大人びていて、言葉が冗長だからかもしれない。

わたしにも、
「うるせー」「ふざけんな」
など、乱暴な言葉を言うことがある。

もちろんそれは、本気ではない。どんなときにどんな言葉を使えばよいか、よくわからないのだと思う。あるいは照れ隠しかもしれない。

とにかくこうたくんは何らかの形で関わりたいのだ。

わたしに「なんだばかやろう」と言った時、彼の足はわたしの膝に触れていた。それは一見蹴っているようにも見える彼の足は、わたしの感触を確かめていた。

そんな彼にとって、人生ゲームの場はあまりにも忙しすぎた。

目の前に多くのものが行き交い、さまざまな言葉が飛び交う。彼の心の中には何かが大量に入ってきて、居心地が悪かったのだ。足でわたしは触っていたのは、安心安全な場所を求めていたからかもしれない。

関係を作るためのこころ

こうたくんもたけしくんも、発達障害の傾向がある、普通の学校という場に馴染まない子達だ。

発達障害について、いろいろな理解があるかもしれないが、ここでは、

〝人との関係をつくるためのこころの発達の遅れ〟

くらいにしておく。

薄皮饅頭

心は饅頭だ。皮は薄く、中はただの餡かもしれないし、抹茶の味かもしれない。チョコ味もありうる。

それにつぶあんがこしあんかわからない。つぶあんにしても粒の大きさが違うだろう。

すると、発達障害は、

〝薄皮の発達の遅れ〟

である。薄皮は、他人と自分を区別し、わたしがわたしであることを保証している。

しかし、幼い子は、薄皮がまだ完全ではなく、餡をうまく包めていない。
すると、外側から中身の餡が丸見えになってしまう。

こうたくんがときどき乱暴な言葉を発するのは、まだ、薄皮に餡が包まれきれていないからだ。中身の餡が時々こぼれ落ちてしまう。

また、外気によく触れるため、傷んでしまうこともある。特に、人生ゲームのように高温多湿だと、よく痛む。

だから、こうたくんは、人生ゲームから離れ、たけしくんは人生ゲームをやめた。そうして、何とかその場をやり過ごしたのだ。

薄皮は少しずつ成長する

とはいえ、こうたくんもたけしくんも薄皮がそのままなわけではない。

薄皮は、新鮮な餡から栄養をもらい、少しずつ強く、しなやかな柔らかいものになる。

そのために環境調整が必要だ。それは、私たち大人の役割であり、長い時間をかけて育むものなのだと思う。

こうたくんは時刻表を調べる。予測しやすい情報を集めることで、外の世界を安心できるものにできるからだ。そんなこうたくんのことを周りの大人が見守る。

先日は、彼にバスの時刻を教えてもらい、無事、自分の家の近くまで帰ることができた。次女のことも可愛がってくれる。わたしはとても助けられた。

たけしくんはデイサービスに通っている。たけしくんにとって、安心して過ごし、少しばかり学ぶことができる場所だ。

わたしは、子ども食堂からたけしくんを家まで送り届ける。彼にとって何か安心できる存在なのであれば、わたしも嬉しいし、次女も長女も彼と一緒に帰ることをとても楽しみにしている。

居心地のよい場所が、彼らの薄皮を少しずつ成長させる。そして、その場所では大人も子供も関係なく、ケアし合う。そっと寄り添う、それさえできれば。

そしてまたいつか、人生ゲームの続きができたらいいなと思う。

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