褒められたいということ

誰にでも褒められたいと思うときはあると思う。褒められたい。認められたい。承認欲求っていうのかな。わたしも褒められたいと思うときがある。いつだって褒められたい。どんな小さなことでも褒められたい。

仕事で小さな成功があったとき、上司から言われるのは大抵「それはすごいと思うけど、これはどうなってるの?あれは?こんなんじゃだめだよ」ということ。もちろん仕事だし子供じゃないしこんな当たり前のことで落ち込むのはバカみたいだとわかっている。きっとちゃんとした大人たちはこんなことですごく落ち込んだりしないんだと思う。だけど上司からこう言われるたびに成功体験を踏みつぶされるような気持ちがしていた。いつだって悲しかった。

子どもの頃、例えばテストで90点を取ったとき、両親は「すごいね!でも100点じゃないね」と言った。正しくはそうではないんだけどまあこんな感じのことを言ったのだ。部活でこんなことがあって嬉しかったって言ってもそれは将来役に立つの?と言われたこともあった。いつだって小さな出来事をただ認めてくれることはなかった。ダメだった部分ばかり記憶に残って認められなかった悲しさで何も言えなくなった。大げさだと思われるだろうけど今でも思い出すと涙が出てしまう。両親は決して悪い人ではないし恵まれた環境で育ったと思っている。だけど、褒められる、認められる、という経験は少なかったのだと思う。わたしが人よりも承認欲求が強いだけなのかもしれないけれど。

わたしには4つ歳の離れた妹がいる。彼女が中学生の時にわたしは家を出て一人暮らしを始めたからか、わたしの中で彼女はまだまだ子どもだしもう大学生なのだということが信じられないでいたりする。そんな子どもだと思っていた妹に最近のわたしは甘えてばかりなのだ。くだらないことですぐにLINEするしすぐに電話もしてしまう。電話の内容は大抵くだらないことで、仕事やめたいだとかバイトがどうだとか部屋の掃除しなきゃーとか。そして今日はこんなことがあったから褒めてほしい話。妹はなんでも褒めてくれる。昔から、お姉ちゃんはなんでもできてすごいねと言ってくれる。大好きな妹。ここで大好きだと言ってしまうと褒めてくれるから好きみたいになっちゃうけどそうじゃないよ。

今日の帰りにふと気がついたのは、過去を埋め合わせるように妹に甘えているかもしれないということ。だけどいつまでたってもさみしいままむなしいままで埋められないのは認めてもらえなくて悲しかった過去を見て見ぬ振りしてたからかもしれない。友だちから些細なことでも褒められると過剰に嬉しくなってしまうのも褒められたい認められたいと強く思ってしまうのも、過去のわたしを受け入れてないからかもしれない。こんなことで傷ついちゃだめだ、って思って蓋をしていたけどきっとそれが間違っていたんだと思う。いま必要なのはきっと傷ついた自分を受け入れること、そして些細なことでもまず自分が認めること。

褒められたい気持ちはきっとなくならないと思う。だけど傷ついた自分を埋めるために褒められたいと思ったり甘えたりするのはもう終わりにしようね。それだとずっとむなしいままだから。





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