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髪は短めで白髪です

昔から若白髪に悩んできた。現在、22歳の僕の頭に白く光る髪の毛はその当時と比べるとかなり減ったが、小学生の高学年から中学生のときにかけてはその存在が目立った。

特に後頭部にその白髪は顕著に見られ、「若白髪郡」ともいえるほどの量があった。通常、青春というのは恋や友情で悩むのだろうが、僕の場合は白髪を起点にそれらに悩んできた。

「あーA子ちゃんに白髪見られて嫌われたくないなー」

「あーBのやつ、白髪がないからって調子に乗ってやがるぜ」

的なことを本気まじで思ったことがある。一般的な思春期の青年とはまた異なる視点から過ごした青春。いや、何が「青い春」だ。こちとて「白春」だわ。

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僕の青春時代、おっと失礼「白春時代」といえば「野球」である。今も贔屓にしている広島東洋カープの勝敗に一喜一憂しているが、その頃はいちプレイヤーとして白球を追っていた(白髪が白球を追うとはこれは正しく……)。

野球部といえば坊主。ただそんな風潮というか文化は現在存在しないチームが多いのだとか。僕の頃はその文化がなくなりそうでなくらならないような過渡期だったこともあり、僕の髪型は坊主のときもあれば坊主ではなくスポーツ刈りというのか、おしゃれ坊主というのか、やや前髪を残したベリーショートで注文することが多かった。ちなみにその注文相手はいつも父で、いつも風呂場で思いのほかがっつり切られていましたけど。

練習並びに試合は自宅近くの河川敷で行われることが多く、大きなグラウンドとどこまでも続きそうなひらけた空がたまらなく好きだった。

散歩がてらにかつての思い出の地の写真を撮った。

身体の線が細くて打っても単打ばかりの僕が唯一ホームランを打ったグラウンドもここだ。今も身体の線は細いけれど、一般的な成人男性の平均身長くらいはあるから、現在なら余裕でスタンドインできそうだ。

ユニフォームは白と紺を基調としたデザインだった。とてもありきたりでつまらないユニフォームであったが、気を衒っているのか帽子には大きな「H」のマークがあった。思春期真っ盛りの少年に「H」の帽子を被らせるなんて…とそんなことを思ってしまったことに対して思春期特有の煩わしさを感じた。まあ一言でいえば少し恥ずかしかったのである。

グラウンドの芝は天然で、淡い黄緑色。白と紺のシンプルなユニフォームがよく映えた。

雨が降ると、その水滴と芝とが化学反応が起こったみたいに、ややつんとしてはいるが軽く鼻に抜けるような香りになった。土が暗くて濃い茶色へと変化していくのを見ていた。

雨で練習が早く終わったり、あるいは休みになったときはもどかしさを家族の前で演じながら、よく一人部屋でガッツポーズをしていたものである。だからなのか、この芝と雨の香りというのは今でも少し心浮き立つ。河川敷沿いを傘さして歩く今日この頃も、どんよりとした曇天の下でグラウンドが暗い色へ変化するのを見て心持ちだけは明るくなった。

過去が現在に作用する。

これに似たような現象といえば、河川敷にあるスピーカーによって市内へ行方不明者の連絡がされるときは毎度胸の鼓動が上がってしまうことである。所謂、小田原警察署の「防災行政無線」というものだ。

行方不明者の氏名・年齢・性別・身長・体格と事細かな情報がアナウンスされる。

この防災行政無線は日中であれば急に大音量で流れ出す。試合が始まった直後だろうとも、ツーアウト満塁で迎えたチャンスだろうとも。

当時、練習の休憩中のときのことである。僕は河川敷のベンチに腰掛け帽子を外し、水筒に入ったポカリスエットを喉に流し込んでいた。

チームメイトとの会話を遮るかのように大きな音がこだました。

(ピンポンパンポーン)

小田原警察署からお知らせします。

本日、午後○時頃から〇〇(場所)の○○○○さん⬜︎歳が行方不明になっております。

傾向を見るにアナウンスされる人間はお歳を召されている方が多い。また一番重要とも言える名前に関して聞き逃してしまうことも多い。アナウンスはまだ続く。

身長は165センチ、体格は痩せ型です。

ちなみに中学校へ入学したときの僕の身長は150センチだったが、卒業する頃には170センチちょうどになっていたため、専ら160センチ代であった中学生だったともいえる。

僕の体格は先に述べたようにホームランを打てないような「痩せ型」。体重で肩・肘を守りきれなくて壊したこともある。無論、この情報だけだと誰が行方不明になったのか分からない。アナウンスは続く。

髪は短めで白髪です。

なぜだろう。ドキッとしてしまった。授業中に先生から急に指名されたときみたいに身体がぴくっと反応した。
僕は急いで脱いでいた帽子を再び被った。そのときばかりは大きな「H」のロゴも気にしている余裕はない。

服装は紺色のTシャツに白色のズボン、黒い運動靴です。

えっ……しかし、僕が着ているのはユニフォームであり、また黒いスパイクである。それに年齢だってお年寄りだったはず。

お気づきの方は、最寄りの警察までお知らせください。

「さあ練習行こう!」
グローブを手に取り、いつもより大きな声でグラウンドへ駆け出した。これが俗に言う逃避である。

無論、この放送の行方不明者が僕でないことは確かだが、自意識過剰性を思春期の人間は持ち合わせているものでしてね。

そんなこともあり、今でもこの防災行政無線が市内にこだまされると少し鼓動が早くなる。

いつか本当に行方不明者にならなければいいのですが、とりあえずあと数十年は差し支えないでしょう。

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