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消えた「もみあげ」を描く

初対面の人間に、特技を聞かれたときに困ってしまうのは「自慢しすぎていないか」、あるいは「格好つけすぎていないか」という要素を考えすぎてしまうからだ。

その点、僕は特技を聞かれれば、「フラフープを回すことが得意です」とか、「自分でセルフ散髪することが得意です」と即答することができる。フラフープを回すことより、「ギターが弾ける」とか「カラオケ」、「リフティング」とかの方が断然格好いいのだけれども、僕がそれを口にしてしまえば「格好つけすぎている」と思われかねない(そもそもリフティングはみじんもできないので嘘になる)。そう考えれば「フラフープを回すこと」という特技は自己アピールが強すぎず、ちょうどいい塩梅である。

しかも、一年に一度か二度しか聞かない「フラフープ」という言葉の持つ希少性が斉藤夏輝というどこにでもいる大学生の希少価値を高め、確固たるアイデンティティの持ち主のように見えてしまうのも利点であろう。

問題なのは「自分で散髪すること」と言うかである。これを読んでいるあなたは、「自分で自分の髪の毛を切ることができるのは頭を丸めた高校球児だけだ」というバイアスがあるかもしれないが、「特技:セルフカット」は確かな事実である。

今はバリカンでセルフツーブロックに整え、重い箇所を適当に透く。ただ、セルフカットのみで生活をすると、いかんせん髪の長さがバラバラになって見目好くないので、二、三か月に一度は美容師に切ってもらっている。

そんなんじゃあ「セルフカット」とは言えないよと思われるかもしれない。だが、僕がセルフカットの術を習得したのは高校2年生の頃だ。中国四千年の歴史にはやや劣るものの、それなりの歴史を持つ(五年前ですけど…)。

床屋代は1000円カットであれ毎月毎月利用していたら勿体ないことに気付いた高校生の僕は、自分の髪の毛を自分で切ることにしたのである。床屋さんのカット方法をじっーと眺め、理論を目で認識し、一か月後見よう見まねでお風呂場の鏡の前にすっぽんぽんで仁王立ちした。

チョキチョキ、チョキチョキ、こんなもんかな?
はじめての手術は成功だった。

次の日、学校へ行くと友人から「髪切ったね」とお決まりのセリフを言われた。
彼らに、「自分で切ったんだ」と報告をすると、「器用」だとか「まじか!すご!」的な悪くない反応をされた。今思えば、このときの彼らの反応が僕を調子に乗らせた。

一か月後、また散髪の時期がやってきた。そのときの僕のあこがれはツーブロック。刈上げのグラデーションと段々になった髪形が何ともグットルッキング。しかし、校則でツーブロックは禁止されているため、何とかバレないツーブロック風なギリギリを攻めていこうと思った。

そのため、当然のことながらバリカンは使えない。なんとかもみあげをハサミで刈上げっぽく、「薄め」の演出をしたかった。

いざ!チョキチョキ、チョキチョキ。左側のもみあげは上手くいった。
この調子でと、右のもみあげへ。チョキチョキ、「ジャリ」。その音に背筋が凍る。数秒まで僕の身体の一部だった毛がお風呂場の床へ落ちる。恐る恐る鏡をのぞく。

白い。それは、短くまばらに生えた黒い草の上に雪が降り積もっているかのようだった。端的に言うなら、禿げていた。

思春期最盛期の高校生ということもあって、翌日の学校を休もうとしたが、「成績の方が大事だ!」と謎に真面目な斉藤的特質のせいで嫌々学校へ行った。誰からも見られていないのに、右側のもみあげを見られているような気がしてならない。その頃の僕は窓際の席で、廊下側より窓際派の人間だったが、このときばかりは廊下側派の人間になった。授業中も、廊下側の席の人間に僕のもみあげを鑑賞されているのではないかと気になり、まったく集中できなかった。

ここまで来たら恥を笑いに変えてやろう。僕はいっそのことカミングアウトし、髪を自虐的に用いることにした。といっても、同じサイトウはサイトウでもトレンディエンジェルの斎藤さんほどの度胸はないため、仲の良い何人かの友人へ自慢するようにもみあげを見せた。

「ドンマイ!」、「大丈夫大丈夫!すぐ生えてくる!」、「千円カット代だしてあげようか?」など、多くの言葉で「ハゲ」ましてくれたし、中には「かっけえ!俺も斉藤みたいに刈り上げようかな」と本気なのかネタなのか分からない反応をする友人もいたものである。

友人の間のみの笑いで終わればいいのだが、問題は生徒ではなく先生だった。幕末の散切り頭より斬新なこの髪形は、捉えようによっては「ツーブロック」と見なされかねない。そして月に一度の髪形や服装、爪の長さをチェックする謎文化、「頭髪服装検査」は翌日。刻一刻と時間が迫っていた。

頭髪服装検査の二日前に散髪をした僕の自業自得なのだが、失われた時間を取り戻すことはできない。もみあげが生えるのを待つしかない。が、24時間足らずでもみあげが元通り生える訳もない。ハリーポッターみたいな特殊な力で、翌朝のもみあげが生えているのではないかと期待したが、もちろん生えていない。

頭髪服装検査当日。僕は祖母へ朝一番に相談をした。すると祖母は口を開いた。
「生えないのなら、描けばいい!」

「パンがないのなら、ケーキを食べればいい」的なマリーアントワネット風の名言に、その手があったか!とハッとさせられた。

僕は祖母のもとへすかさず、ブロッキー(水性マジックペン)を持って行き、もみあげを描いてもらった。

するとどうだろうか。某「匠のリフォームテレビ番組(所謂、前後ビフォーアフター)」以上の「なんということでしょう」な出来だった。あれほど白かったもみあげは、黒く塗装され、遠目からみればそれは立派な髪の毛だった。僕は「匠」こと祖母に感謝し、学校へ向かった。もちろん、登校中の僕の頭の中ではあの感動的なBGMが鳴り響いている。

学校へ着いたらすぐに、友人たちへ祖母の作品「もみあげ」を鑑賞してもらったが、皆「これならイケる」、「よく見ないとバレない」と太鼓判を押された。

そして始まる頭髪服装検査。この検査で緊張したことなどこれまで一度もなかったが、その日に限って心臓は高鳴る。出席番号順に先生が生徒の頭髪をじっくり見ている。僕の何番か若い出席番号の人間はツーブロックと判定され軽い説教を喰らっている。さあ、いよいよ僕の番だ。

教師はじっくり僕の爪を見る。
「少し爪長いね、おうちで切って来てください」
よく観察されている。

観察眼の鋭い先生なら、この調子でいけばバレそうである。
先生は僕の髪をじっと見た。
「うん、斉藤くん完璧」

安堵のため息が思わず漏れた。

僕は高校の先生が皆大好きだし強くリスペクトしていたが、この時ばかりは節穴かと思った(本当にすいません)。


頭髪服装検査のない、いつもの学校生活に戻ったが、相変わらずもみあげのない日々もしばらく続く。僕は毎朝毎朝祖母にもみあげを描いてもらった。おかげで廊下側の席の人間から指摘されることも嘲笑されることも、先生から「ツーブロック!」と指摘されることもない順風満帆の学園生活を手に入れることができた。

生えない、もみあげはない。

もみあげが生え、祖母からの補色週間が無くなった頃、また散髪の時期がやって来る。失敗は成功のもとだ。セルフカットが特技なのは、この経験があってこそなのである。

ということで、セルフカットをするとこんなにダサい経験をすることができるよ!と、「自慢しすぎていない」且つ「格好つけていない(というかむしろダサい)」この特技、「何かもみあげ」を失くすリスクはあるが非常におすすめだ。

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