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拙者、価値ある落武者なりけり

僕は現在、これっぽっちも霊感というものがない。物心ついてから霊が見えたとか妖怪に出会ったとか、そんな経験があればエッセイとして「ほんとうにあった怖い話」が書けるのだが、幸か不幸か霊的な彼らを目撃した記憶はない。

しかし、僕たちは記憶にないだけで霊的な何かを既に目撃、あるいは遭遇しているのかもしれないし、悪霊なのか守護霊なのか分からないが無意識のうちに何かに取り憑かれているのかもしれない。

これは母に聞いた話で全く僕の記憶にはないものであるため、本当かどうかは定かではない。言わば二次的情報である。しかしどうやら話を聞く限り、僕に「落武者」が見えていたのは事実であるようだ。

ーーー

僕に物心がつく前のことである。保育園から自宅に帰り、今は亡くなった祖父と散歩をして、祖母と母がつくった夕食をとり、一人で風呂なんて入れないから家族の誰かと風呂に入り、床に着く。

無論、一人で寝られる年頃ではないため母に寄り添って横になる。この日もいつもと同じルーティンを繰り返すが、ベッドに入ったとき、母は僕と目が合わないことに異変を感じたらしい。

僕の視線はずっと母の首の横あたりにあった。じーっと何もないただ一点を見つめていたという。

「何見てるの?」

母が尋ねると僕はゆっくりと口を開いた。

「おじさんがいる」

別に泣き出す訳でも怖がる訳でもなく、淡々と言ったらしい。

社会に揉まれた現在においては(まだ学生ですが)、目の前にいる相手が仮におじさんであっても「お兄さん」とか「アニキ」みたいな感じで言うべきなのだろうが、まあ「クソジジイ」と口にしないあたり、教育がしっかりと行き届いているように感じる。

母は「いないから!」と口調強めに言った。それでも僕は淡々とそのおじさんが「いる」ことを母に伝えて、しばらく何もない空間をじっーと見ていた。だが限界が来たのだろう。そのまま、すっと眠りに入った。

知らないオッサンが家に居て何故熟睡モードに入れるかは謎であるが、まあ保育園児というのは身体を酷使する生き物である。保育園で駆け回り、帰宅後は散歩もしているし、夕食もたくさん食べた。知らないオッサンくらいでは僕の睡眠は阻害されやしない。

もしかしたらそのおじさんが森山直太朗くらいの美声で僕に子守唄を歌っていたとか、実はおじさんがベラベラと校長先生のような魔術的会話をしていたとかもあるかもしれない。しかしいずれにせよ僕は眠りについたらしい。

翌朝もおじさんは母の横に居ると僕は口にしたが、僕は相変わらず何も気にしない素振りであったようだ。そうなると、どれほどマイルドな表情をしているオッサンなのか気になる。おそらく笑ったときの西田敏行レベルのマイルドさを持ち合わせた霊的な何かなのだろう。

母は僕を保育園へ送った後、職場へ向かった。霊的な何かが纏わりついていたらいつもと違う何かが起こるのか——。

だが、仕事で何かミスをする訳でもないし、不運なことは別に起きない。かといって特段良いこともない。普段と何ら変わらない時間が流れるだけだった。

母は仕事を終え、僕を迎えに保育園まで車を走らせた。

「なっちゃん、今日不思議なこと言ってたんです」

僕もかつては「なっちゃん」呼びが似合う時期があった

母へそう切り出したのは保育園の先生である。

「お母さんの横にずっとおじさんがいるって。しかも禿げてて、鎧みたいなのを着てるって言ってましたよ……落武者?ですかね??」

当然だが、保育園に通う子どもが「鎧」や「落武者」といった概念を知るはずがない。先生が僕の発言を拾いに拾って辿り着いた妄想的見解にすぎない。

ひとつ言えることがあるとすれば、母に取り憑く霊的な何かが落武者であり、かつマイルドな表情をしているのなら、それは「ステキな金縛り」に出てくる落武者役の西田敏行である。

このまま母がこの落武者を守護霊にでもしてしまえば、三谷幸喜脚本並みの面白いイベントが発生しそうだが、帰宅後、母はすぐにお祓いを選択した。

母には霊感強めのお寺の住職(もしかしたら神主さんかも)の友人がいたらしく、早急に彼を呼び寄せた。

彼はお寺の住職ではあるが、気さくでいつもヘラヘラとしているような人間であるらしい。が、その日だけは彼の表情が硬かったようだ。

白い正装とよく見る祓え棒を手に持って現れた彼を見て、母は大袈裟ではないかと口にしたが、相変わらず彼の硬い表情は変わらなかった。

結果として、お祓いをした後、母の肩がすっと軽くなることも鼻筋が急に通ることも齋藤飛鳥並みの小顔になることもなかった。変化を感じぬお祓いではあったようだが、僕は母を見て「おじさんはもういなくなった」と言ったらしい。

そのときの僕はどのような表情をしていたのだろうか。母に詳しく聞かないことには分からないが、日常に西田敏行がいなくなることへの寂しさがあったかもしれない。なんていっても一夜を共に過ごしたおじさんなのである。幼少期の僕が寂しくないはずがない。

いやそもそも僕はこの頃からとっても優しい人間なので(知らんけど)、おじさんはまだ消えていないのにも関わらず、執拗なまでに落武者の存在を気にする母に気を遣い見て見ぬふりをしたのかもしれない。

ただ、その後母は弟を無事に出産したし大きな病気になることなく今まで生きている。順風満帆か否かは母のみぞ知るところではあるが。

それでも、毎日を楽しそうに生きている母を見ていると、その落武者が成仏できたのだろうと思う。いやまだ取り憑いていたとしても、それは価値ある落武者であろう。源義経とか平将門とか、伝説級の武士かもしれないし。

今年大学院に入学した僕は、予定通りにいけば2年後ほぼ確実に実家を出ることになる。もちろん、親孝行はしたいのだが僕や弟が家庭にいなくなったとしても特別何か案じることはないだろう。なぜだろう。そんな気がするのである。

【追記】
落武者のおじさんへ
もしまだ母に取り憑いているならこれからも末永く守ってやってください。成仏していても、あの世から声援を送ってくださると幸いです。あと、ついでに僕にも伝説級の武士の落武者の守護霊を呼んでください。明智光秀とか、結構好きです。




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