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二者択一が大嫌いだ!

「朝はパン派?ごはん派?」
「海派?山派?」
「犬派?猫派?」

人はなぜ二つのうちどちらか一方に決めたがるのか不思議である。その回答の中間的回答や「その他」と言われる意見だってあるはずだ。

そもそも「犬派?猫派?」を聞く際、「猫派?犬派?」という順でもいい。それなのにあえて犬から聞いてくるあたりがもう、「私は犬派です!」という強い自己主張に感じてしまう。

多様性を考慮するのならどちらかで選ばせるべきではないし(「べきではない」と言っている時点で僕の方も多様性ガン無視なのだが)、僕は皆さんがよくご存知の通り大変天邪鬼な人間であるため、中間的な回答やその他の回答をあえて行い相手の反応を楽しみたくなってしまう。一言でいえば、面倒くさい人間である。

「朝はパン派?ごはん派?」
と聞かれれば、今朝の朝食がクロワッサンでも「麺!」と嘘をついてしまう。いや、嘘ではない。派閥とは好みを指すわけだから、普段はパンなんだけど、蕎麦をすすって一日が始まることが理想と思えば麺と答えるのは全く嘘ではないのだ。

「海派?山派?」
と聞かれれば、「山から見る海が好き」と答える。海と目線が同等だと、見える波の数は一つか二つだ。しかし、山から見る波の数は無数だ。それに海のカラーのグラデーションが緻密に観察できる。
「つまり、海派ということね」と相手が相槌を打ってきたら、それは違うと面倒くさい人間を演じたい。

「犬派?猫派?」
と聞かれれば、「鳥派」と答える。なぜなら、犬も猫も決して食べたくないからだ。鳥は安くてヘルシーで美味い。「君は犬を食べたことがあるのかい?」とここでも面倒くさい男を演じよう。

何が言いたいかというと、二者択一で質問をすることはいかにもナンセンスであるということだ。

その中間的回答をする方がもっとナンセンスかもしれないが。

✳︎

先日、地元の有名なパン屋さんであんぱんを食した。こしあんたっぷり、パン生地もちもちですこぶる美味だった。しかもお値段200円。菓子パンと比べれば値はするが、美味しさを考えればお値打ち価格であった。

そのときは大学の友人と二人で来ていたので彼にも感想を聞いた。

「確かに美味い」

もぐもぐと、端的な言葉を述べた後もゆっくり丁寧に咀嚼していた。

あろうことか、僕は彼へ尋ねてしまった。

「こしあんとつぶあんどっちが好き?」

今でも謎である。二者択一の質問なんて絶対にするものかと思っていたのに、口が勝手に動いたのだ。僕の脳みそは僕の口に「どっちが好き?」なんて命令していない(と思いたいほど悔しい)。

僕は彼と仲が悪いとか、出会ってから間もないとか、まったくそういう関係ではない。むしろ僕は彼と仲が良いとさえ思っている。沈黙を埋めるための質問ではなかったが、咄嗟に出た野暮な言葉たち。

「俺、つぶあん無理なんだよねー」

そのあんぱんがこしあんだったのか、つぶあんだったのかは忘れてしまったが、つぶあんの王様「あずきバー」が食べられないのはいかにも可哀想だと感じた。あずきバーなしで夏をどう乗り越えて生きているのか疑問に思った次第だ。

と、野暮な質問をしたことから話を逸らす、もっと野暮なことをしているが、もう二度と二者択一の質問はしない。そう心に決めた。

ところで、皆さんは吉野家とすき家どっちが好きですか。


僕は松屋です。


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