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「おみくじは何回でも引いていい」とかいう謎理論について

おみくじ、凶が出たらどうしますか?あるいは末吉でもいい。なんなら小吉でも中吉でも、自分がそのおみくじの結果に対して納得がいかない場合、「おみくじって何回でも引いていいらしいから」と言って再び硬貨を奉納してみくじ箱に手をする人が後を絶たない。

でもよく考えてほしい。何回でも引いていいのなら、おみくじの意義がなくなってしまうのではないかということを。

おみくじとは元来、神仏を通じて予測できない未来予知やそこから留意すべき事項についての教えを授かるものであるはずだ。まあ端的にいえば「運試し」である。

しかし僕たちは運試しの代表ともいえるじゃんけんやあみだくじをやり直すことはない。もしそれをやり直そうものなら世間から「卑怯者」として認識されるのに、おみくじに限ってそう捉えられることはない。

おみくじを引き続ける人間は、
やがて糖尿病になる。

あるいはこう考えてほしい。おみくじを2回も3回も引き続ける人間というのは、チョコボールの銀のエンゼル・金のエンゼルが出るまで箱を開け続けるのだろうか?ガリガリくんの当たりが出るまで棒をしゃぶり続けるのだろうか?

それは知覚過敏の症状の有無に関わらず、YouTuberの企画と思春期の悪ノリから発生するしょうもない遊戯の他に考えられないし、考えるだけで糖尿病一直線で気分が悪くなる。

ねえ、そろそろおみくじを2回も3回も引き続けるのやめない?

いやいやそれでもおみくじというのは気分を高めるためのものであるから……といった感情論者からの反論が想像できるが、そんな君たちには経済学的な観点からおみくじを俯瞰してほしいと思う。

おみくじを何回でも引いていいとは
単なる「儲け」である。

おみくじの平均相場は100円といったところだろう。高くても200円。300円のおみくじも中には存在するが、そこらへんで適当に取るランチよりも高くつくことはない。もし500円以上するおみくじがあるのなら、それはぼったくり以外の何者でもないだろう。

だが、この「安さ」が仇になっている

「うわ、末吉かよ……まあ1回100円だしもう一回引いてもいいか」

この100円という絶妙な価格設定が我々の脳をバグらせているのだ。

冷静に考えてほしい。100円という安い設定であったとしても、「ちりつも」である。

1000000回だめでへとへとになっても
1000001回目は何か変わるかもしれない

『何度でも』DREAMS COME TRUE

そんな期待を込めていたら、我々は神社に対していくら奉納することになるのだろうか。仮におみくじ価格が100円であり、百万回大凶を引き続けるとなると、1億円奉納することになる。1億100円目は何か変わるかもしれない、が。

まあ大谷翔平くらいの年収があるのなら、何も文句は言えません。

とどのつまり、僕たち消費者は「何回でも引いていい」という甘い言葉に騙されて搾取される存在であることを認識しなければならない。

僕たちはおみくじとどう向き合うべきか

そんな筆者はおみくじを引くのかというと、結論からいって引きます。なんなら、大吉が出るまで引き続けます

なぜなら、おみくじとはそういうものだから。おみくじとは恋愛と一緒で、論理によって片付けられるものではないのである。

新年が明けるとInstagramのストーリーでおみくじの結果を載せている人たちをよく見かける。が、大吉の割合がやけに高いことの背景には何回も引いている人が存在し、最終的に出てくる大吉を世に発信していると考えられる。

だから、「ああ、みんな大吉…俺だけ凶か、、」なんて卑屈になることはありません。見えないだけで彼らがSNSにあげているのは平均値3.5回目くらいの大吉であり、末吉やら凶を踏んでの大吉であるから。

さあ、おみくじをもう一回引こう。
1万回だめで望みなくなっても、1万1回目は来る



【追記】
SNSで末吉とか凶をわざわざ晒してくれる人、大好きです。誠実なんだなと思います。結婚してください。




※来週は旅行記のつづき。たぶん。



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