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アイデンティティとコンフィデンスを育み、 自分の人生にオーナーシップを。

一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームは、日本を代表するリーダーの方々に「ビジョンパートナー」となっていただき、新しい発想とアイディアで、力強く一緒に未来を築いていただいています。
このシリーズでは、ビジョンパートナーの皆さんが思い描かれている未来についてお聞きしていきます。

ビジョンパートナー 荻野 泰弘氏
株式会社アンドパッド取締役CFO
慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社マクロミルにて、財務経理本部担当執行役員として東証一部上場企業の財務全般に携わる。モバイル系ベンチャーの取締役CFOを経て、株式会社ミクシィにて企業買収、合弁会社設立等、投資全般を担当。同社取締役CFO就任後は2度の資金調達、グローバルオファリングを実行。米国金融専門誌「Institutional investors」が選定するBest CFOを2年連続で受賞。2020年より現職。

インタビューアー 水谷 智之
一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム 理事・会長
1988年慶応義塾大学卒業。(株)リクルート入社後、一貫して人材ビジネス領域に携わり、「リクナビNEXT」などを立ち上げる。グループ各社の代表取締役、取締役を歴任し、2012年には(株)リクルートキャリア初代代表取締役社長に就任。2016年に退任後は、社会人大学院大学「至善館」理事兼特任教授、経済産業省「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」委員、「『未来の教室』とEdTech研究会」委員、内閣官房「教育再生実行会議」委員などを歴任。2017年に一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームを設立、地域みらい留学を推進。

右:ビジョンパートナー荻野泰弘氏、左:(一財)地域・教育魅力化プラットフォーム水谷智之


水谷
:荻野さんには高校3年生の娘さんと高校1年生の息子さんがいらっしゃり、お二人ともスイスの学校で学んでいるそうですね。どういうきっかけで留学をすることになったのでしょうか?

荻野:娘が小学生の頃から、僕と妻の間には、ゆくゆくは海外留学をしてほしいという気持ちがありました。
というのも、僕自身、大学生になるまで、海外に行ったこともなければ海外の人と交流することもまったくなかったんです。社会人になってから海外の投資家らと仕事をする機会が増えて、若い頃にもっと世界を見ておけば良かったと思いました。
かたや箏の演奏者である妻も、仕事で海外に行く機会は多いものの、英語はほとんど話せなくて。二人とも、我が子には若いうちにその壁を越えてくれたらいいなと思っていました。

水谷:なるほど、そうだったんですね。上の娘さんは、中学校からスイスに行かれたんですよね。なぜ、大学や高校ではなく中学校からだったのでしょうか?

荻野:当初は、大学や大学院で海外に…と考えていたのですが、海外の大学院で学んだ人に話を聞くと、大学(学部)から留学した方がカルチャーなども含めて本質的に学べるとアドバイスをもらいました。
そこで海外の大学で学んだ人に聞くと、アメリカは大学受験のハードルが高いから高校から準備しないといけないよと言われ、なるほどと。そうしたなかでお子さんを中学校からスイスに留学させている親御さんに話を聞く機会があり、話を聞けば聞くだけ今すぐ留学しないと遅いんじゃないか…という気持ちになったんです。それが、娘が小学6年生のときでした。

水谷:早ければ早い方が良いと判断されたんですね。娘さん自身は、どのように感じていたのですか?

荻野:娘はもともと国連で働きたいと言っていて、海外留学にも前向きでした。とはいえまだ小学生でしたし、それまでは海外といってもハワイなど観光地しか行ったことがなかったので、中学受験が終わったタイミングで、僕と娘の二人でヨーロッパに2週間ほど旅行に行ったんです。
ロンドンやパリに滞在したのですが、娘はヨーロッパの雰囲気が気に入ったようで、海外で勉強したいと言うようになりました。そのときは娘も僕もすぐに留学するつもりはなかったのですが、ちょうどそのタイミングで先にお話しした親御さんのお話を聞いて、じゃあ今すぐ行くかと…。僕と妻が真剣に調べ出したのを見て、娘も覚悟が決まったようです。

水谷:ポジティブな意味での覚悟ですね。ところで、なぜスイスの学校を選ばれたのですか?

荻野:結果的にスイスの学校を選んで良かったと親子とも満足していますが、当時はスイスが良かったというよりは、中学生が一人で留学できるのがスイスだった、という感じです。
いろいろと調べたのですが、例えばイギリスのボーディングスクール(寄宿学校)では近隣に親が居住せねばならず、条件が合いませんでした。さらに、国連ならアメリカのニューヨークかスイスのジュネーブか…と考えたのですが、ニューヨークも中学生が留学する場合は親が同伴じゃないとだめだということで、スイスにしました。
スイスに絞ってからは、実際に見て学校を決めようと、家族で現地を訪れました。

水谷:12歳の娘が家を出て海外で寮生活を送ることに対して、親として不安や寂しさはありませんでしたか?

荻野:正直、調べること、考えること、準備することが多すぎて、離れる当日までは感慨に耽る暇もなかったんです。
でも、娘をスイスの寮に送り届け、帰ろうとした瞬間に、ふと我に返って。子犬を置いて自分だけ帰るような、なんともいえない気持ちになって、血の気がスッと引いたのを覚えています。後悔はなかったのですが、やはり親としては…。でも、数日後に初めてビデオ通話をしたら、娘は毎日めちゃくちゃ楽しいと、心配していた僕らが拍子抜けするくらいに馴染んでいたんです。
入学当初は全然話せなかったフランス語も、1ヶ月後には友だちとコミュニケーションが取れるレベルになり、3ヶ月後にはベラベラと女子トークをするくらいまで上達していました。僕や妻が巨大だと思っていた壁を娘はやすやすと乗り越えていて、本当に驚かされましたね。

水谷:壁をものともせず、だったわけですね。地域みらい留学の留学生たちも同じです。親の心配はよそに、1週間後にはみんな楽しそうにしていますね。その後、娘さんが壁にぶち当たったことはなかったのですか?

荻野:大きく二つの壁がありました。一つは、一番仲良くなったロシア人の友だちが、親の仕事の都合で学校を辞めることになったとき。
もう一つは、コロナ禍を機にほとんどの生徒が学校を辞めて自国に帰ってしまい、友人関係がリセットされてしまったとき。いずれも一時期はとてもつらそうでしたね。それでも、なんとか自分で気持ちに折り合いをつけて、乗り越えてくれました。

水谷:娘さんが海外に留学して、一番変わったことは何ですか?

荻野:親子関係ですね。娘は小学5年生の後半くらいから反抗期が始まっていたのですが、留学してからは、なんとなくギスギスしていた親子関係がとても良くなったんです。一時帰国をしたときも、学校の話や友だちの話をたくさんしてくれて、僕の仕事のことを聞いてきたりもして。会話がすごく増えて、親への感謝や尊敬の念ももってくれて、親子の距離が激変しました。
「かわいい子には旅をさせよ」は、まさにその通り。娘は一皮も二皮も剥けて成長しました。今は年に2回の長期休暇のうち2週間程度を家族で一緒に過ごすのですが、短いからこそ濃密な時間を過ごせています。
365日常に一緒にいるとお互いに気づまりですが、子どもといい距離感を保てていることは、僕自身にとってもとても良い方向に作用しています。

水谷:離れてみてわかる大切さですね。荻野さんから見て、お子さんをスイスに留学させて良かったと思うのは、どういう点においてですか?

荻野:多様性がある環境で学べること、均質的な環境では得られない刺激を日々得られることですね。日本の学校は、偏差値や世帯収入などが近い人たちが集まる傾向にありますが、娘の学校には世界90カ国くらいから生徒が集まっています。寮のルームメイトは一年ごとに変わるのですが、国や文化が違えば生活習慣も部屋の使い方も違い、最初はストレスでもすぐに受け入れられるようになるそうです。
そして、多様性があるからこそ、人はアイデンティティを見つけに行くと思うんです。例えば娘は、ハウスキーピングの人に真面目できれい好きだと慕われているそうで、自分のそこが評価されるんだとうれしかったそうです。多様性があるからこそ、アイデンティティコンフィデンス(自信・自己肯定感)が生まれる。僕はそう感じています。

水谷:多様性のある環境では、自分とは異なるものから刺激を受け、ときに混乱もしつつ、アイデンティティとコンフィデンスが生まれる。とても興味深い指摘ですね。

荻野:娘の学校を見ていると、コンフィデンスをいかに育むかが教育の根幹にあると感じます。自分はこういう人間なんだという自己肯定感は、多様なバックグラウンドをもつ人がいるからこそもてるものです。
一方、同質性が高いと、部活や学業の成績という観点でしか自信がもちにくく、これが日本の多くの学校の現状だと思います。ちなみに、姉の姿を見た息子は、自分も日本の学校ではなくスイスの学校に行きたいと言い出し、中学入学前からスイスの学校で学んでいます。

水谷:多様性と同質性のお話がありましたが、地域みらい留学では、まさに生徒の多様性、学び暮らす地域の多様性が、一つの肝になっています。荻野さんがビジョンパートナーとして地域みらい留学を応援しようと思ってくださったのは、どういう想いからなのでしょうか?

荻野:うちの子どもたちは、親元を離れたことをきっかけに、自分の人生にオーナーシップをもつようになりました。子どもと離れたときはそれなりにつらかったですが、子育ての中で一番大事な選択だったと、今は心から思えます。親としてそうした原体験があるので、同様の取り組みを国内でしている人たちを応援したいと思ったんです。

水谷:ありがとうございます。荻野さんには島根県・海士町にも来ていただきました。隠岐島前高校の生徒たちを見て、どのように感じられましたか?

荻野:率直に、コンフィデンスを感じました。目に自信を宿している子があんなにも多いことは、衝撃でした。最短・最速でゴールに向かっている都会の優秀な子どもたちは、言ってみれば500人乗りの豪華客船に乗っているようなもの。恵まれてはいるのだけど、船の行き先は決まっていて、自分が行きたい方向には行けません。
一方、隠岐島前高校の子たちが乗っているのは筏(いかだ)。筏は自分で漕がないと進みませんが、自分で漕げばどこへでも好きなところに行けます。彼ら・彼女らはきっと、オーナーシップを失ったら何も進まないということも経験しているはずです。上げ膳据え膳ではなく、自分たちでやる。一つひとつ乗り越えたという成功体験の数が、自信につながっているのだと思います。

水谷:私自身、地域みらい留学を日本にとって本当に必要な事業にするためにはどうしたらいいのか、地域みらい留学をどういう事業にすべきか、常に問答してきました。経営者としての視点で見て、荻野さんは地域みらい留学にどのような価値があるとお考えですか?

荻野:僕が大企業ではなくスタートアップで挑戦を続けているのは、イノベーションは辺境から生まれる、自分で筏を漕いで行きたいところに行くことでしかイノベーションは生まれないと、確信しているからです。
これからの人口が減少して縮小する社会においては、安定したパーツの一つとして生きるという選択肢も縮小していきます。いい大学に行っていい企業に入れば人生安泰…という価値観は、もはや通用しません。
大事なのは、何かにすがって生きるのではなく、アイデンティティとコンフィデンスをもって自分の足で立って生きること。アイデンティティとコンフィデンスがあれば、たとえ乗っている船が沈没したとしても、丸太一本を掴んで荒波を泳ぎ切ることができるのです。アイデンティティとコンフィデンスを育み、自分で筏を漕げる生徒、人生のオーナーシップをもてる生徒を育てるという意味において、地域みらい留学はまさに21世紀の教育の王道を行っていると言えるのではないでしょうか。

水谷:「21世紀の教育の王道」というお言葉をいただき、力強いお言葉に背中を押されるとともに、大変身が引き締まる思いです。答えのない時代に、自分で挑戦テーマをみつけ、自分で考えて、自分で踏み込む。そんな意志ある若者が育まれる地域みらい留学を目指したいと思います。これからもビジョンパートナーとして、地域みらい留学への伴走をどうぞよろしくお願いいたします。

株式会社アンドパッド オフィスにて

地域みらい留学公式サイト https://c-mirai.jp/

【カメラマン:荒川潤、ライター:笹原風花】

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