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歌あり踊りあり、それでいて深い社会批評…エジプト映画「炎のアンダルシア」

イスラーム映画祭がきのう終了した。今回、鑑賞したのは計5本。1本づつレビューを書いて、noteに開設しているマガジン「中東シネマ倶楽部」にアップしている。ここでは、最終日の23日にみたうちの一本、エジプト映画「炎のアンダルシア」について。

この作品、個人的に強い思い入れがある。1997年の制作で、日本では翌年の1998年にフランス映画社の配給で公開された。私は当時、東京で英語で書く新聞記者をしていて、この映画について取材をしたことがあった。

最も印象に残っているのは、エジプトのスーパースター歌手であり、作品では吟遊詩人という重要な役どころを演じたムハンマド・ムニールさんにインタビューした時のこと。父がエジプト人である文筆家の師岡カリーマさんに通訳をお願いし、映画のことや歌手活動のことなどを聞いた。

ムニールさんへのインタビュー記事

話を聞いていて、ムニールさんの明るく、フランクな性格がよく分かった。当時、まだエジプトに一度も行ったことがなく、ムニールさんのことも知らなかったが、彼のパーソナリティを通じてエジプトという国に強い関心を持ったことは間違いない。

実際、その数か月後に初のエジプト旅行に出かけた。そこで、さらにエジプトにひかれ、2年後には、新聞社のカイロ特派員として、エジプトに赴任。3年半を過ごすことになる。「炎のアンダルシア」は、そんな私のエジプトとのつきあいの始まりとなった作品なのだ。

前置きが長くなってしまった。「炎のアンダルシア」は、中世のイベリア半島にあったイスラム王朝、ムワッヒド朝の都市コルドバの大法官、アヴェロエス(イブン・ルシュド)が主人公の歴史映画。アヴェロエスは、当時のイスラム圏では軽視されていた「哲学」という学問を探究していた学者でもあり、そうしたあり方に反対する過激な「セクト」と対立し、最後はセクトの陰謀により、著書を含めた蔵書を焼かれるという「焚書」の憂き目にあい、自身もコルドバを追放されてしまう。(ネタバレご容赦)

「炎のアンダルシア」人物相関図(フランス映画社提供資料)

上映後の金子冬美さんのティーチインでも説明されたが、ストーリーは、過激な「イスラム主義」が台頭した1990年代のエジプトと重なる。エジプト映画の巨匠、ユーセフ・シャヒーン監督が、非寛容さを増すエジプト社会への危機感を感じて制作したものだ。

当時のエジプトの状況については、以下の本を読むことをおすすめする。故・藤原和彦さんの「イスラム過激原理主義」。私にとって新聞記者、カイロ特派員の大先輩で、多くの影響を受けた人でもある。

金子冬美さんが詳しく解説していたが、シャヒーン監督自身、この映画を作る少し前に、自身の作品「ムハージル」について、イスラム主義者らからの批判を受けて、国内での上映禁止に追い込まれるという経験をした。作中の「焚書」は、監督自身のできごとも重なる。金子さんは「炎のアンダルシア」を「監督自身の物語を作ろうとした」のだ、と解説していた。

さて、またムハンマド・ムニールというか、彼が演じた吟遊詩人マルワーンの話に戻りたい。酒好きであり、高い歌唱力で人々をとりこにするマルワーンは、セクトに襲撃されて負傷する。このくだりは明かに、1994年に起きたノーベル文学賞受賞者、ナギーブ・マフーズ暗殺未遂事件と重なる。刃物で首をさされるというディテールまで同じだ。

そんなマルワーンを演じたムハンマド・ムニールは、シリアスなテーマを扱うこの映画に、広く人々をひきつけるエンタメ性を加味している。加味、どころか、彼の歌と、彼を中心とした人々の群舞を楽しむ映画でもある、といっていいほど、存在感が大きい。
シャヒーン監督は、1998年の来日時に、映画雑誌「シネ・フロント」のインタビューでこう語っている。
「自分は哲学者だと言いながら歌も踊りもできない人は、哲学者ではないと思っています。あまり真面目すぎるというのは人生を愛していない証拠で、人生を愛していない人は哲学者ではありえないからです」

ぱっとみ、作品のテーマとかみあっていない印象もあるムニールの音楽と踊りは、明らかに作品の中核に据えられたものだったのだろう。

「『音楽は絶え間ない愛を培う糧である』というシェークスピアの言葉がありますが、愛はまた人生を培ってくれる糧です。今回の『炎のアンダルシア』で描こうとしたことは、正にそのことなのです」。シャヒーンは言う。

ティーチインで金子さんは、作品について「歴史考証があまりに雑だ、とか、重要人物の描写に正確さを欠く、といった批判もあった」と話していた。確かに、映画で、アヴェロエスの自宅に、イランのイスファハンの工芸品の更紗布が敷かれているのを目にした。気になる人がいるかも知れない。

ただ、そうした「粗さ」を補って余りあるほどの魅力に満ちた作品であることは間違いない。ユーセフ・シャヒーンというエジプト人の人間的魅力にあふれた作品ともいえる。
金子さんが「エジプト映画最高傑作のひとつ」と絶賛した「カイロ中央駅」など、シャヒーン監督の作品には今なお、ぜひ鑑賞するべき作品が多い。イスラーム映画祭主宰の藤本高之さんによれば、過去日本で劇場公開されたエジプト映画はわずか5本。金子さんもトークの最後に藤本さんに敬意と激励の言葉を送っていたが(藤本さん、ちょっとしんどそうに応じていた)、今後、日本で、もっとエジプト映画が目にする機会が増えたらどんなにいいだろうか、と私も思う。

なお、4月の上旬に藤本さんに、今回を含めた「イスラーム映画祭の舞台裏」を語っていただくトークを企画している。

4月7日の日曜日、夜7時からの開催。場所は東京・荻窪駅北口から歩いて数分。関心のある方は、ぜひ足を運んでいただけたら、と思う


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