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正義のヒーローなんていない。いても、正義の味方だけだ。

タンスの中を探っていると、12年前、21歳の自分が書いた殴り書きが出てきた。

『自分の突き進んでいることが人のためになっている、正義を執り行っている、と思ったら、その人間は危なくてしょうがない。どんな思いでも、「人のために」執り行っていると思い込んでいるものはすべて自分の自己満足のために行っていると思わないと危なくなる。
 人ってものは誰一人完璧でない。自分が正義だと思って突き進んでいるときに、その「正義」というものがいつの間にか自分の私利私欲や、そうでなくても感情に左右されていることに気づくことは少ない。


 自分の行動はすべて「人のために行動できている」と自分を納得させたいという自分の感情のために行われていると、客観的に自分は良い人間でないと思うことが、自分の正義という空虚なものに盲進した自分を戒めることにつながる。
 正義を貫くというのは不可能に近いものである。まず誰の何が正義なのか、いったい何が正義なのかを定義できたものは長い人類の歴史でいるだろうか。それを私利私欲なく成し遂げ、関係者全員を幸せにしたものなどいるのだろうか。答えは否である。
 どんなに自分の行動が人のためになったとしても、それにより褒められたとしても、自分の信じた「正義」を貫くことの理由にはならない。
 自分が信じた自分の行動を自分のために行う。その過程の中で偶然人に認められて褒められたんだってことを絶対に忘れてはならない。
 ある先生が言っていた。「正義になるのは大変。ただ、正義の味方には簡単になれる。」なるべきは、空虚な結論の無い正義を自分の意見と同一だと勘違いして突っ走るエセ「正義」ではない。自分の行動が自分のため、自分の名誉のためであると、自分は他人の幸せだけを願うことのできないダメな人間であると思ってから、正義という結論の出ないものに寄り添ってあげることなんだと思う。』

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