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10月の詩

畑は収穫が済んで裸となり、
冬が口笛を吹いて広場を通る。
十月が炎と黄金の衣装で身を飾る、
老いを恐れる女性のごとく。

── アン・メアリー・ローラー


◇◇◇


待ち焦がれていた月がやって来ました。
まとわりつく暑気に代わり、肌に触れるのはひやりと澄んだ冷たい空気。
ようやく新しい季節の到来です。

漢文学者である白川静は、この季節について、このように書きました。


【あき(秋)】稲の収穫期にあたり、おそらくそのことを示す語であろう。

どの民族の語でも【秋】は農耕の収穫と関連する名でよばれている。
その収穫物で生計が立てられるので【商(あきな)ふ】という。


どうりでこの季節が実りの秋と呼ばれるはずで、“商い”が“秋”と結びついていたという事実にも、面白さを感じます。


◇◇◇


海外詩の翻訳で有名な堀口大学は自身も多くの詩を手がけましたが、その中にはこの月についての散文詩も存在します。


『十月の言葉』
 

十月は、やさしくて、甘い。山の湖のやうに空が碧く澄んで、薔薇の花に思ひ出の匂ひがある。月は一段高い道を渡り、星はしきりにばたいて、人の心に呼びかける。太陽は遠くから照らして、天国の気温でものを暖める。
十月はやさしくて、ゆたかだ。昨日の夏は何処へ行つたか?華奢の夏?奔放の夏?心はもとの港へ帰つて、過ぎた航海の思ひ出を愉しむ。
十月はやさしくて、しとやかだ。色づいた木の葉、草の葉、咲き残る季節の花々。どれもみな姿あかるく、どれもみな心さびしい。風が吹く、あしたつめたく。風が吹く。ゆふべわびしく……。


堀口にとって、この季節がどれほど麗しいものだったか、この短く美しい詩からもうかがえます。


◇◇◇


もう少し時代を下り、1876年のフランスでも、『Poème d'Octobre ─ 10月の詩』という歌曲が発表されました。

作曲家は『タイスの瞑想曲』でお馴染みのジュール・マスネ。作詞家はポール・コラン
秋の憂愁そのままの、ゆるやかでメランコリックな響きに満ちた一曲です。

物語は全6節に分けて展開され、その第2節目〈〉では、まるで未来に待つ何事かを予感するかのような、哀切に満ちた心持ちが歌われます。


『Poème d'Octobre ─ 10月の詩』
〈秋〉


目一杯享受せよ 秋の日々を

この天上では
苦悩がさまよっているようだ
悲しい別れに...
目一杯享受せよ 秋の日々を

私は覚えている やさしい言葉を
恋人たちがささやき合っていた言葉を
彼らは永遠の誓いをしていた...
小さな声で...
バラが咲いていた時に!

目一杯享受せよ 秋の日々を
この天上では
苦悩がさまよっているようだ
悲しい別れに...
目一杯享受せよ 秋の日々を

ああ!われらを追い立てる運命は
時にはあまりに残酷だ!…
戻って来てくれるのか 美しい恋人よ
あの甘い季節がまたやって来たなら?...

目一杯享受せよ 秋の日々を!...


◇◇◇


華やかさと寂しさ、豪奢と寂寥など、様々な顔を併せ持つ、複雑で魅惑的な月。
この月はある花の香に包まれており、私は道端でこの花に出会い、その香りを吸い込む度に、曰く言い難い気持ちになります。

花の名はキンモクセイ。
古くからジンチョウゲ、クチナシとともに三大香木として知られ、原産地の中国では、その香りは「千里先まで届く」とまで例えられます。

この花の独特の香りに幻惑されるのは私だけではなかったらしく、26歳の若さで夭折した一人の俳人は、この花木について素晴らしい歌を詠んでいます。

その言葉のめくるめく響きの中で、10月の詩の話を終えることにいたしましょう。
どうぞ目一杯、来る秋を享受なさいますように。


ゆつくりと私は道を踏みはづす金木犀のかをりの中で 

── 笹井宏之





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