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金縁の中の失敗

軽薄な人間だけが人を見た目で判断しない。

──オスカー・ワイルド


ドリアン・グレイの肖像』にて、己の外見への執着ゆえ、破滅してゆく美青年を描いたオスカー・ワイルド
彼自身が独自の服装と生活スタイルを貫き、常に衆目を浴びる存在でした。

その人が記した言葉は一見するとわかり辛い反語のようで、思わずその意図に思いを巡らせてしまいます。

そしてまるでその延長であるかのように、人の見た目と判断について、激しく心を揺さぶられる出来事がありました。


読書好きの例に漏れず、私も出先で書店や図書館を見るや、つい吸い寄せられるように近づいてしまうタイプです。
その日はじめて立ち寄ったのは、小綺麗な市立図書館でした。

図書館などどこも同じだ、と思われるかもしれませんが、地域ごとの特性もあり、配置される本や館内の雰囲気も異なります。

その図書館は数十年前に或る大規模な騒動が起きた区域に位置し、市内の住民で事件を知らない人はいません。
それから半世紀近くが経った今も、街にはどこか他所にはない緊張があり、駅を降りて私もその空気感に戸惑いました。

それでもそこが日常的に危険な土地というわけではなく、私が所用で向かった先も、広々と快適な場所でした。

用を済ませての帰り道に駅近くの図書館に立ち寄ったのも、そこが同じく居心地良さげに思えたからです。


自分の判断が正解だったことには満足ながら、唯一気になったのは、ある一人の男性の存在でした。

そこは比較的低所得の住民が多いことでも知られ、私が目にしたのもそれを実感させる人でした。
いかにも身なりに構わないといった外見で、清潔感が無く、サイズも季節感も合っていない洋服がひどく汚れ、くたびれているのは遠くからも一目で見て取れました。

なおかつ、その人はテーブルに向かって斜めに腰掛け、不自然に身体を傾けながら、片肘で本を押さえつけてページを開いています。


私が美術本コーナーでルイス・ティファニーの図版を見つけ、立ったままその分厚い本のページを繰っていた時、通路の向こうからその男性が歩いて来ました。

男性は歩く時も身体を傾かせ、左手に本、右手は身体の脇にだらりと垂らしています。
足取りはアルコールが入っていることを疑わせ、サンダルが床にこすれて耳障りな音を立てています。

一瞬、その場を離れようかとも思いましたが、このタイミングでそうするのはいかにも避けているように映るでしょうし、なぜ自分がそこを離れなければならないのかという、反発心に似たものもありました。

けれども、狭い通路のためそのままでは男性とぶつかりそうです。余計なトラブルを避けるため、私は書架にぎりぎりまで身体を近づけました。


やがて男性はごく緩慢に私の後ろを通り抜けたのですが、その時、ふいに声が聞こえました。

「すみません。どうもありがとうございます」
もの静かな声でした。

驚く私の凝視をよそに、男性はやや離れた書架の前で立ち止まり、本を棚に戻そうとしています。
その時に、私は二度目の驚きに襲われました。

男性は身体の右側を私の方に向けており、その腕がどことなく不自然なのです。薄いブルゾンの布地は下へいくにつれ平らになり、身体の動きに合わせてひらひらと揺れています。

男性の右腕は、肘から先がありませんでした。


どうにか左手だけで本を書架に戻した後、男性は他の本と揃えるためか、本の背表紙を手で撫でならし、ついでらしく、他の本に対しても同じことを行いました。
いかにも本を愛おしむかのような丁寧さでもって。

そのまま歩き出したその人の後ろ姿を眺めつつ、私もやっと、身体の不自然な傾きと、足を引きずっている原因がわかりました。

片腕が欠けているため上手くバランスが取れないらしいのと、よく注意すると足も庇っているようなので、身体を動かすこと自体が困難なのかもしれません。

先ほど、だらしない姿勢で椅子に座り、肘で本のページを押さえていた理由も腑に落ちました。
私が嫌悪感をおぼえたその体勢は、不自由をカバーするためには必要不可欠であったのです。


その瞬間の感情を言い表すのは困難ですが、もし鏡で見たならば、私の顔はひどくこわばっていたかと思います。
同時に、コートの襟元に手を伸ばし、かき合わせる仕草も映っていたことでしょう。

その日、私はあこや真珠のネックレスをつけていました。形見分けでいただいた、自分では手が出ないような高価な品です。
そのネックレスを半ば無意識的に隠そうとしたのは、強い引け目と恥ずかしさを覚えたからです。

私はその上等な品には不釣り合いで、とてもそれに相応しい品格を備えてはいませんでした。
"上品"に装った私は、見た目が"下品"だというだけで、相手に故なき差別意識を抱きました。
実際は、本当に上品なのはその人の方だったにもかかわらず。

その人は、嫌悪感からの私の行動を善意と受け取り、紳士的に対応しました。
その見た目とはかけ離れた言動に、私は人を外見で判断する自分の思考の貧しさ、幼稚さを苦く噛み締めざるを得ませんでした。


けれども、こんな過ちを犯すのはどうやら私だけではないようです。
アガサ・クリスティが生み出した天才探偵エルキュール・ポアロもまた、同じような失敗をしでかします。

自らの先入観ゆえ初動を誤り、危うく殺人犯を野放しにしかけたポアロは、事件解決に至った後、壁に報酬の小切手を飾ります。美しい金縁の額に入れて。
「一体なぜそのようなことを」という問いには「目にするたび戒めになるから」と苦い微笑いを浮かべつつ。

同じ理由で、私は本来なら隠しておきたい失敗談をここに書き記します。
外見で人を区別しないのは愚かですが、それのみを材料とした判断は、なお愚かであると忘れぬように。






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