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仲直りの最適解

あなたの過ちを正直に告げる、それが友を心から信じるということだ。

─── ベンジャミン・フランクリン


人は亡くなる前、一体何を思うのか。

それは恐らくその時にならなければ分からないことながら、これから死に向かう人たちを看取る人々が記した本に、いくつか参考になりそうな話があります。


どんな場合も末期の人々が語ることは共通しており、もっとお金を稼ぎたかった、沢山の物を持ちたかった、と口にする人はほとんどおらず、多くは人間関係にまつわる願望だといいます。

もっと家族と過ごしたかった、恋人との付き合いを深めたかった、友人を大切にすれば良かった。

特に友人に関しては、仲違いをするんじゃなかった、縁を切ったことは間違いだった、という後悔がしばしば語られるそうなのです。


私もこれまで何人もの人と疎遠になった経験があるため、身につまされる話です。
しかもそれらは、いま思えばどうということもない、もっと話し合えば分かり合えたり、許し合えるようなことが原因でした。

けれど過去の私はつまらない意地や苛立ちにとらわれるあまりその努力をせず、あっさりと関係を断ち切ったり、そこから去ることを選びました。


するとそれまでに築いてきた、その人との全てが消えてしまうのですから、ずいぶんともったいない話です。

そんな自分の未熟さ、性急さへの後悔が心の奥底でわだかまりとなっているせいか、時々なつかしい友人の夢を見ます。


つい先日も、十代の頃に仲の良かった一人の友人が夢に登場しました。

夢の中でも私たちは仲違いをし、冷たい空気が漂っているのですが、そこではほんの些細なきっかけでお互いの態度が軟化し、仲直りが叶います。


私は安心しきり嬉しい気分で目覚めたものの、それが幻だとわかったとたん、また寂しさに満たされるという朝でした。

けれどそれだけに、どれほど長い月日が流れようと、すれ違ったままの人との仲を取り戻すことがいかに心を慰め、喜びを与えるものであるかを痛感します。


以前、歌手の美輪明宏さんに寄せられた、とある雑誌の人生相談にこんなものがありました。

〈けんか別れをした昔の友人に謝りたい、そして出来ることならもう一度やり直したい、と毎日のように考えています〉


〈こんな願いは身勝手過ぎるでしょうか。相手は今も腹を立てているか、それとも、もうこちらのことなど忘れているかもしれないのに〉

こう逡巡する相談者に対し、美輪さんは短く回答なさっています。


手紙を書きましょう。
“あの時はごめんなさい。私は若くて愚かだったの。愛してます”
これで十分です。
後のことはお相手に任せましょう


私もこれに勝る方法はないように思います。

不幸にも仲がこじれる前は良い関係が築けていたなら、相手も同じ後悔を抱えているかもしれません。
月日が経てば昔の非礼など忘れていたり、もはやあれこれと気にしなくなっていることもあり得ます。


突然のお詫びの手紙をどう受け取るか、そこからどう展開するかは相手の問題であり、こちらの関与するところではありません。

だから結果については思い煩わず、ともかく自分の気持ちに正直に、誰にとっても負担のかからない短い手紙を書き送るのは、最良の選択ではないでしょうか。


もしも嬉しい言葉を連ねた返事が来たなら、人生にまた新たな喜びも生まれます。
昔の思い出を共有できる友人は何者にも代えがたく、過去のわだかまりを水に流して笑い合えれば、それに勝る幸福はありません。

残念ながら返信が届かなくとも、相手に自分の気持ちを伝えたという事実は残り、心置きなく友人の幸せを祈ることだってできるでしょう。


そして、心からそんなやり方を素晴らしく感じるなら、私もまた、疎遠になったり不義理をしている友人に、一筆したためるべきかもしれません。

残りの人生の長さがどのくらいか、誰にも知る由はないのです。
先送りを続けた挙句、今際いまわきわに後悔の念を吐露せずに済むように、きちんと自分の思いを伝えておくべきでしょう。


手紙よりももっと控え目にコンタクトを取ろうとするなら、年末年始にかこつけて、ささやかな挨拶を送るという手もあり得ます。

夢で味わった仲直りの温かな感覚が現実のものとなるように、まずはきれいなクリスマスカードを探すことから始めてみましょうか。




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