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音楽を巡る幸福な偶然

まだ戦後間もない昭和30年頃。
演奏会のため来日したドイツの指揮者が、街なかで驚いたことがあるといいます。

それは、ごく普通の人々がクラシックに親しんでいるということ。自転車に乗った蕎麦屋の出前持ちが、フランツ・シューベルトの『未完成交響曲』を口ずさんでいた、というのです。


音楽史に残る偉大な3B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)を生み、音楽の国という印象の強いドイツにあっても、クラシックに耳を傾けるのはある階層以上の人と決まっています。
一般的に好まれるのはもっと軽い音楽で、労働者階級の人々が鼻歌でシューベルトをハミングするようなことはありません。

そのため指揮者は日本の一般市民の文化度の高さに強い感銘を受けたそうですが、聞くところによるとシューベルトのその曲は、当時人気を博したラジオ番組のテーマソングだったといいます。
その出前持ちの人も、芸術への理解や愛好心から、シューベルトの名曲を口ずさんでいたのではなさそうです。
それでも、ラジオの人気番組のテーマソングがクラシックとは、何とも優雅な話です。


現代でも耳を澄ませてみると、そこここに名曲が使われていることは割にあり、テレビのコマーシャルでも、プロコフィエフロミオとジュリエット』、エルガー威風堂々』、モーツァルトアイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』、シューマントロイメライ』などがバックミュージックとして流れていました。

プッチーニの『マノン・レスコー』のマノンのアリア《この柔らかなレースの中で》がソーセージのコマーシャルに選曲されていた時には、誰がどんな意図で、と笑いつつ考えてしまいましたが。


日本はクラシックの"本場"とは遠いため、かえって先入観なくフラットに名曲に親しめるのならば、それも悪くない気もします。

お寿司がアメリカに渡り、カリフォルニアロールが誕生したのと似た感じでしょうか。
伝統や決まりごとにとらわれないからこそ、自由な部分があるのかもしれません。


話がだいぶ遠回りしたものの、なぜ急にひと昔前のドイツの指揮者の話題などを持ち出したかというと、私もつい最近、似たような体験をしたからです。

先週、買い物途中に路地を自転車で走っていた時、ふいにどこかから耳なじみのある旋律が聞こえてきました。
ヨハン・パッフェルベルの『カノンニ長調』です。


音はちょうど私の向かう先から響いてきており、何かイベントでもやっているのか、でもこんな住宅街の真ん中で、といぶかしみつつ、ペダルを漕ぐ足を早めました。

角を曲がると、通りの向こうに軽トラックが停まっており、どうやら廃品回収業者のその車がスピーカーから大音量で音楽を鳴らしているようでした。
神の栄光を讃えるバロックの名曲と、不用品買い取り業。本来なら決して交わらないはずの世界線が、いともあっさり融合しています。


それは微笑いを誘う風変わりな魅力を備え、思わず足を止めてその響きに聞き入るうちに、感謝そのものといった心持ちになりました。
だって、全く思いもかけない所で、素晴らしい音楽を聞けたのです。それも、コンサートホールなみの大音量で。

再びゆっくりとペダルを漕ぎ出し、だんだん遠ざかってゆく美しい調べを惜しみながら、私はその路地を後にしました。


「ああ、それは上手い手だね」
帰宅した私から話を聞いて、家族が口にした感想です。
「それなら、うるさくてもそんなに文句は出ないだろうし。『カノン』を嫌いな日本人はいない」
「何でだろうね」
「・・・山下達郎?」

あり得る、と私たちは笑います。
毎年、クリスマスが近づくと聞かない日はないほどの定番曲、山下達郎さんの『クリスマス・イブ
今から40年前の1984年に発表され、なお不動の人気を誇るクリスマスソングです。


実はこの曲は全体がバロックのコード進行で作曲され、間奏には『カノンニ長調』がまるまる8小節分、多重録音の一人アカペラコーラスとして取り入れられています。

蕎麦屋の出前持ちさんが耳学問をしたように、現代日本の私たちもまた、誰もが知るポップミュージックにより、気づかぬうちに古の名曲と親しんでいたというわけです。
ドイツ音楽界の巨匠が年末に日本を訪れたなら、歩きながらこの曲をハミングする何人もの人とすれ違い、耳を疑うかもしれません。


海外のジャズ・ミュージシャンが、日本のラーメン店でジョン・コルトレーンが流れているのに驚嘆し、日本に住みたい、と言った逸話もあり、今も昔も、この国は無自覚的にかなりユニークな音楽との付き合い方をしているのでは、と考えられます。

それが良いことか単なる無頓着さかは別にして、私はこのごた混ぜが嫌いではありません。
音楽をあまりに軽々しく扱っている、という論もあるでしょうが、クラシックであれジャズであれ、やたらと有難がられて一般の人が近づかず、一部の好事家によるお勉強の対象やブランドとして消費されるより、誰しもに近しい方が、よほど良いに決まっています。

当たり前に一級品に触れ、それを取り立てて意識もしないほど、贅沢なこともありませんし。


その証拠にではないものの、私は最近ドミトリー・ショスタコーヴィチの『ジャズ組曲』という曲に夢中になっています。

これからルキノ・ヴィスコンティの映画でも始まるのでは、と思わせるノスタルジックで上質な、かげを含んだ甘美な曲なのですが、私はこの曲を音楽とは無関係の場で知りました。
アクセサリーのアレンジ動画のバックに流れていたのに"一耳惚れ"し、作曲者と曲名を探し当てたのです。


現代に生きる私たちは、数世紀前の王族や大貴族の悲願を叶え、いつでも自分の好みの音楽を奏でてくれる楽団を、手元の小さなデバイスの中にすら持っています。
この特権を大いに享受せずして何とする、です。

入り口がどうであれ、それぞれが自分にとって最高の音楽に出会い、楽しめるきっかけとなるならば、それは素晴らしい幸運そのものです。



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