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夢を解く

夢は挿し絵だ、魂があなたについて書いている本の。

── ネイティヴ・アメリカンのことわざ


私は人の夢の話を聞くのが好きで、特に「よく見る夢は何か」という質問を、誰彼となくぶつけていた時期がありました。

「ぐっすり寝入っていて、気がつくともう夜が明けてるんだよ。
それで、しまった!今夜は一人で当直なのに、患者さんを放り出して俺は何をやってるんだ!って真っ青になって、病室までダッシュするんだ。
目が覚めても動悸がおさまらないし、毎回めちゃくちゃ落ち込む」

医師である友人は、病院勤務医時代のこんな夢をくり返し見るそうですし、こういった何かをし損なう、失敗するといった夢は多く聞かされた気がします。

学生時代のテストの苦痛、クラスメイトの前で恥をかくなど、卒業してもう何十年も経っているのに、と自分の夢に首をかしげる人もいましたが、心の中の時間の流れは、外側とは全く異なるものなのでしょう。


私が子どもの頃に繰り返し見ていた夢のひとつは、大型旅客機の墜落事故です。
その夢の少し変わったところは、私はその飛行機の乗客ではなく、地上でそれを見ている側であるという点です。

シチュエーションは様々ながら、室内や屋外のどこであろうと“突如現れた巨大な飛行機が急降下し、一直線にこちらに突っ込んでくる”という筋書きは同じです。

どれだけそこから逃れようしても必ずその後の爆発にまで巻き込まれるこの悪夢には、ほとほと参らされました。


ですからアメリカ同時多発テロの際、ワールドトレードセンタービルに居合わせ亡くなった人々のことは、どこか他人事とは思えません。

夢と現実の事件を比べるのは不謹慎であり、実際に亡くなった方への冒涜に当たるかもしれませんが、擬似体験であったとしても、自分がいる建物に飛行機が衝突する、という恐怖を私は幾度も味わっています。
だからこそ、その衝撃と辛さをありありと想像できるように思うのです。

それでもただひとつの違いは、私は目が覚めるたび元の世界に戻れることで、あの事件で亡くなった方たちにそれは不可能です。
だからこそ、夢と現実の奇妙な符合を経験した私は、犠牲者の方たちのため、特別な思いで魂の平安を祈っています。


私自身は、なぜ自分がそんな夢を見続けていたかの分析ができないため、まだ前々世紀の夢にまどろむような時代の南米に、夢解きを生業とする女性たちがいたことを羨ましく思います。

彼女たちは朝になると、これはという家の扉を叩き、昨日なにか不思議な夢を見なかったかと尋ねるそうです。

すると大抵の場合、家の中に招き入れられ、台所や客間の一角で、その家の人々の夢の話を聞くことになります。

不可思議な夢の謎を解き、適切な助言や予言を与えた後は、何がしかのお礼を手に家を出るか、時にはそのまま専属の夢解き師として雇われることもありました。
19世紀のコロンビアの一地方では、裕福な家庭にそんな女性が住み込んでいるのは珍しくもないことで、毎朝、家人は彼女に昨夜の夢を語ったといいます。

私はこの風習を南米の作家の自叙伝で知ったのですが、これ自体がどこか夢の物語めいています。


現代でも夢を気にかける人は意外に多く、夢占いの本やサイトは 数多あまたあり、私もイギリスで出版された夢診断の専門書を持っています。

夢はもうひとつの現実であり、これを忘れてしまうのはもったいないと、何年間か夢の記録を付けていた時期もありました。


そして学んだことのひとつが、悪夢は必ずしも悪いものではないということです。

たとえば火事や地震は物事の再生を意味していたり、死は自身の生まれ変わり、特に悲惨な死に方をするほどに幸運が訪れるなど、現実世界とはまるで違う法則が存在します。
夢には夢の文法があるのです。

それを知ってから私は悪夢をさほどいとわなくなり、そのせいか飛行機が墜落する夢も、いつしか見なくなりました。
あれほど頻繁に訪れる、恐ろしい悪夢だったにも関わらず。


とはいえ再びあの夢が戻ってほしいとは思いませんし、せめて夢の中くらい、都合の良い世界であってほしいもの。
私に夢を読み解いてくれる専属の女性はいませんが、目覚めた瞬間から幸福になるような、自分でその意図についてあれこれ想像できる夢を見られれば最高だと思います。

今夜、どなたの元にも素晴らしい夢が訪れますように。



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