見出し画像

大シルクロード展【福岡アジア美術館】

電車でふと目に入った、シルクロード展の文字。なんとも…複雑な感情です。いろいろな思いが混じる場所であります。


以前も書いた気がしますが、2006年に西安から敦煌まで転々と旅をしたことがあります。

大学2年生の時、そうだ!書道だけ勉強するより留学しちゃれ!と思いついて、学内の掲示板に張り出してあった交換留学の試験を受けて翌年、北京師範大学に一年通うことになります。
7月に入ると夏休みになったので、現地で知り合った(日本の同じ大学の)大学院生の先輩と旅行しよう!という話になりました。

まず北京から西安までの飛行機をとって、西安、天水、蘭州、西寧、武威、張掖、嘉峪関、安西、敦煌と先輩と二人で気の向くままに、史跡や博物館を巡りました。
必要なページだけ破った『地球の歩き方』と、『中国の書 史跡と博物館ガイド』が頼りです。
北京の家楽福(カルフール)で買った40LくらいのBRAZILと書かれたザックに着替え等詰め込んで、留学して5ヶ月目、言葉がなんとかなるようになってきた時期に西安に出発しました。


今となってはもうあんな無茶苦茶なことはできないなぁと思う一方、一番逞しくなった時期かもしれません。
西に行くにつれ顔立ちも、文字も建物もどんどん変わっていくんですよね。

当時、新疆は危ないよ!と言われて行かなかったのが、今となっては少々心残りですが。
河西回路は本当に思い出が詰まった土地です。


展示の内容を少々。ほぼ書道関係で偏っています。写真はフラッシュNGですが、ご自由にどうぞというパターン。
これらの他にも染織、宝飾品、銀貨、石像、唐三彩、武威の馬など色々ありました。

ペルシャ辺りから来たものかな。
中国では玉があったために、ガラスが栄えなかったと以前本で読んだ記憶がある。
この時代(唐)はこのような形の硯が多かったようだ。
洛陽の白居易故居はどんなところか。


敦煌懸泉置漢簡
単眼鏡が必要だった。中央が山になっている、三棱の簡牘。
こちらは短め
横から見ると凹みがある。ここは封泥ふうでいを入れるところだろうから、「封検」と呼ばれる、みだりに披閲できないように封印するときに用いられた簡牘であると思われる。


敦煌懸泉置漢簡は長短の差が激しい。
長いものは50cm、短いものは23cm前後。

封泥に関してはこちらをご参考に。


どのような筆記具を使ったのか気になる。
これが発掘されたベゼクリク千仏洞に行きたくてたまらない!


高昌国は玄奘三蔵が立ち寄った国ですよね。
北朝時代前期あたりか。隷意があり、古拙。
唐時代になると完成された楷書になっている。


これら経典が見つかったのが敦煌の莫高窟

2006年7月29日

莫高窟は当時、予約もなく入ることができました。もちろん入ることができる場所は制限されていましたが。
仏教芸術の聖地といわれるだけあって、今なお色の残る鮮やかな仏画や仏像に昔の人々の強い想いや願いが詰まっているのが伝わってきましたね。



東西の交易で栄えた、思想と文化の融合。
地球四分の一周に及ぶ壮大な旅路がつなぐ人とものの歴史の重み。
そしてシルクロードの終着点が奈良だったというのもまた、私が日本人としてこの地に惹かれる要因なのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?