整形が絶対条件ではないと思う理由
こんにちは!吉田ちあきです☺
ショート動画で、整形ビフォーアフターを目にすることが多くなったのは、ひと昔前より、整形に対するハードルが下がっているからなのかなぁと思いますが、実際のところはどうなんでしょうか?🤔
結論からいうと、私は整形に対してはシンプルに個人の自由だと思っています。
(面白くもなんともない回答ですみません。😅笑)
整形歴をカミングアウトされても、
別になんとも思いません。
“自分をより良くしたい”
その一心で、ヘアメイクや小顔体操諸々、限界まで努力した上での覚悟を携えての整形、
という場合もあると思います。
ただ、
・コンプレックスを克服したい
・可愛くなりたい
その願いを真の意味で叶えるためには、
整形だけでは足りないと思っています🤔
整形のために貯蓄に励み、
大金払って痛い思いをして、
会社や学校を休んで長いダウンタイムも取らなきゃいけない。
それも確かに一つの努力です。
だけど、整形の力だけで魅力的な人になれるかというと、そうではないと考えています。
内面から滲み出る雰囲気、人としてのあり方を磨くための努力や向上心は、整形のためのそれとは違う意味を持つ
と思うからです。
◆コンプレックスを克服してどうなりたい?
◆どんな自分を描いている?
◆そもそもそれは本当にコンプレックス?
◆もしかしたら自分でコンプレックスとして刷り込んでいる可能性も
◆そのコンプレックスさえなければ理想の自分は叶うのか?
(コンプレックスのせいで理想の自分になれないのは本当?)
◆理想の自分を100とすると、今はどれくらい?
◆今現状、やれることには何がある?
◆どんなことを頑張ろうと思っている?
こうした問いを自分に立てて、自分の奥底に眠っている本当の願いや望みに耳を傾けてみる👂
そうすると、(整形という)痛みや怖さを伴わずとも、
理想の自分に近づく道筋が見えてきたり、
叶えるために自分にできることを頑張ろうと思えたり、
そもそもコンプレックスと思っていたことが実はそうではないのかもしれない、
こんなに悩んで苦しいのは、実はコンプレックスが問題なのではない
ということに気づいたりします。
こうして自分と向き合う作業は、たとえ理想の容姿を手に入れたとしても、ひとつひとつ丁寧に取り組むべき大事なこと。
なぜなら、人は年齢を重ねるほどに、
その人の生き様や思考の足跡が、表情や姿勢に現れる
と思うからです。
整形という手段と、それまでのご本人の努力や葛藤を、第三者がチートだなんだとあれこれ言うのは、ナンセンスだなとは思います。
視覚から得られる印象が大きいのは間違いないです。
けれど、眉目秀麗・容姿端麗な姿だけがその人を形づくるのではなく、自分の内面、思考や信念こそが表に現れるということ。
そちらの方にこそ目を向けたいです😊🤲
吉田 ちあき
お読みくださり、ありがとうございます🙏
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