私の生い立ちの話 ①私の家(もしくはうちの店)
うちは地方都市の古い商店街によくある型の店舗の上や奥に住んでいる店舗兼住宅で、
家内制手工業的商売家だった。
つまり、学校帰りは店から入り、人感センサーで自分が鳴らしたピンポン(来客の合図)を聴きながら、
ただいまー、あ、いらっしゃいませ、とお客さんと口をきき、
まあ、大きくなったわねなどと言われたりしながら、愛想笑いして奥に引っ込むと言う子どもだった。
老若男女、有象無象、とにかく人の出入りの多い家だった。
家族構成は
祖父(大正生まれ)
祖母(昭和一桁生まれ)
父(バリバリの団塊世代)
私
妹(年子)
の、5人家族が基本メンバー。
そこに父の恋人や、婚約者や、居候などの様々が出入りする。
とにかく登場人物の多い家だった。
そしてその登場人物は、頻繁に入れ替わるのである。
大人になった今、私が1人で居るのが好きだったり、離婚の条件として自宅をどうしても手放したくなかった理由は、
自分だけの居場所が欲しい‼️
と言う切実な子ども心が影響していないとは言い切れない。
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