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政治資金について

法律等の状況

 政党の政治資金に関わる法律には、政党助成法と政治資金規正法の二つがある。政党助成法は、政党の要件に当てはまる団体に対して、(直近の選挙にて獲得した票数×250)円を助成することを定めるものだ。
 政治資金規正法とは、各政治家や政党などの政治献金の量的・質的制限を加えること、政治資金の調達経路を公開することなどにより、「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われる(政治資金規正法1条)」ようにする法律である。ここでは、政治資金の量的・質的制限、政治献金の公開という二つから内容を見ていく。法令では、政治団体、政党、政治資金団体などの定義がされているが、その説明は省略する。
 政治献金の量的・質的制限では、個人と団体について、政治献金をすることができる対象と金額が決められている。全体像は、【図1】および【図2】のとおりだ。個人であれば、政党・政治資金団体に対して年間2000万円を献金できる。団体は、1億円以下で献金できる。政治家などに対しては、個人は年間1000万円の寄附ができる。ただし、一人の政治家に寄附できるのは、年間150万円までだ。団体は、政治家などに対して献金をすることは一切禁止されている。この制度の問題は、政党から政治家個人への送金は規制されていないこと、政治団体間の送金は規制が5000万円以下など、抜け穴が存在していることだ(1)。

 なお、政治献金を行う方法には政治資金パーティーというものもある。政治献金パーティーは、特定の政治家や政党、会派の政治資金団体が開催し、その支援者が参加する。支援者はパーティーの参加費に数万円を払い、政治資金団体はパーティーの売り上げとして、政治資金を得るのだ。【図3】はそれを図式化したものだ。また、一人の支援者が何枚もの参加権を購入することもあるため、一度の政治資金パーティーで払ってよい金額は150万円以下と定められている。しかし、パーティーの開催回数は規制されていない。

 政治資金の公開では、各政治団体が毎年度、収支報告書を作成し、都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に提出することが定められている。報告事項としては、年間5万円以上の寄附を行った者の氏名等、一回の政治資金パーティーで20万円以上を支払った者の氏名等などがある。そして、収支報告書は三年間公開される。収支報告書の写しは、総務省や各都道府県のWebサイトから確認することができる。

 政治資金規正法は1948年から存在した。1988年のリクルート事件に代表されるような政治とカネの問題が相次ぎ、政治に対する不信感が高まったことから1994年に政治改革が行われた。そこで政治資金規正法の改正、政党助成法の成立、公職選挙法の改正による小選挙区比例代表制導入などがされた(2)。その政治資金規正法改正の内容としては、団体による政治家への献金の禁止などがされた(3)。現在でも政治とカネの問題がなくならないように、政治家は違法な方法または違法とされうる方法を取ってまで、政治資金を手に入れようとすることがある。その背景には、政治家としての活動を続けるためには、異常なまでの費用が必要な政治システムがある。一人の国会議員が選挙に出馬し当選するためには、数千万円は必要であると言われる。国政選挙では、選挙区選挙で300万円、比例代表選挙で600万円の供託金を払わなければ、選挙に出ることすらできない(公職選挙法92条)。さらに事務所や事務局員、ポスター、選挙カーなどを準備すれば、合計で数千万円に達してしまうのだ。このような費用を捻出するためには、経済力のある個人や団体から支持を受け、献金を得るほかないのだ。政党であれば、各選挙区に候補者を立てるために組織的かつ大々的に政治献金を受ける必要が出てくるのも、現状の選挙制度等を鑑みれば当然である。なお、供託金の金額設定など、日本の政治活動は、他国に比べて圧倒的に高額な資金が必要であることは注目に値する(4)。


問題性

 政治資金規正法や政党助成法といった法律は、政治家やその支援者の腐敗を防ぐためにある。しかし、現在の法制度は、個人や団体から政治家個人に対し、ほぼ制限なく献金できる状況であり、政治腐敗を防ぐのに十分な制度となっていない。現状の法制度では、個人や団体から政治家個人への直接の献金は規制されているが、政党や資金パーティーを経由すれば、ほぼ無制限の献金が可能となる。企業などの団体の経済力は大きく、政治家の意向に強い影響を与えることができるため、建前上は、団体による献金は法的に制限されている。しかし、それが実質的に行えるのであれば、法律の趣旨に反する。また、情報公開についても、一つの政党の収支報告を確認しようとすると、自分で総務省や各都道府県の選挙管理委員のWebサイトから合計数百枚以上のPDFファイルを集め、必要な数字を洗い出し、計算・分析しなければいけない。これでは適切に国民からの監視を行うことは難しい。
 このような欠陥のある法律では、政治腐敗の発生は免れない。そもそも政治腐敗とはどのようなものだろうか。その全体像は、「鉄のトライアングル」と呼ばれる政治家・官僚・利益団体の三つのアクターの関係性で説明されることが多い。鉄のトライアングル内では、それぞれのアクターがお互いの利益になるような約束を交わし、公益よりも私益を優先させるのである。利益団体は、政治家に対して多額の政治献金をし、選挙の際には組織立って集票マシンになるなど、政治活動に必要な資源を提供する。そして、官僚に対して天下り先を提供したり、接待をしたりする。その見返りとして、政治家と官僚は特定の政策の実施、特定の言説の流布等、自らが持つ公的権力を用いてその利益団体にとって有利な状況を作り出す。政治家・官僚・利益団体の間の様々な利益の交換は、以上のような典型的なもの以外にも、様々な形で行われる。例えば、政治改革を推し進める大きな契機となったリクルート事件では、リクルートが関連会社の未公開株を譲渡していたことが明らかになった(5)。また、桜を見る会の問題では、公費や献金といった分類がされることなく開催に係る準備費用が使われ、自民党の支持者が接待される場となっていたことが指摘されている。また、それらの費用や参加者名簿等に関する資料の多くは、調査以前に廃棄されていたことが明らかになっている(6)(7)。

 政治腐敗は、個人や団体による多額の政治献金が大きな要因となって起きるものである。そうであれば、多額の政治献金が可能な現状は、憲法違反にはならないのだろうか。もちろん、個人や団体の経済的側面による政治への影響を完全に断ち切ることは不可能である。例えば、政治的な活動をしたり、特定の政治家に働きかけるためには、政策について調べ、様々な準備をするための時間的余裕や移動費等を払うだけの経済的余裕が求められる。しかし、そういった経済的な点において私たちは完全に平等ではなく、平等である必要もない。このように、有権者の経済力の大小と政治的影響力の大小を完全に切り離すことは実現不可能であると言える。よって、どの程度の経済的側面による政治への影響は許容できるのか、が論点となる。そして、この許容の程度とは、政治献金が国民の持つ政治に関わる権利(憲法15条、16条)を侵害するか否か、を決める基準であると言える。現状の政治資金規正法による上限設定は、許容できる金額と言えるだろうか。つまり、政党などに対して、個人が年間2000万円を献金でき、団体が年間1億円を献金できる法制度は、許容できるものだろうか。当然許容できるものではない。2021年の各党の収入状況を見ると、最大が自民党で約243億円、最小がれいわ新撰組で約5億円である(8)。つまり、個別の個人・団体の献金上限が2000万円・1億円であることと比べると、献金によって政党の意向に対して、少なくとも数百分の一の影響力を持つことができるということだ。これは、どの候補者を選ぶか、ということに対してのみ最大でも数万分の一程度の影響しか持つことができない選挙権と比較すれば、どれだけ大きな影響力を持つか分かりやすい。さらに、個人であれば政治家に対して年間1000万円以下の献金ができ、政治資金パーティーで一回150万円の献金ができる。民主主義とは、一人一人が対等に、言論によって主張を行うことで何が良いか、何が正しいか、を決定するものである。事実、民主主義とは、専制君主が国民から資源を搾取していた時代に、自らの権利を守ろうとする者が先ずは言論に基づいて主張をし、多数派となって行動したことで確立された理念であり、政治形態である。その国家運営に対して、言論以外の方法によって多大な影響を与えようとする行為は、言論によって社会の行方を定めようとする民主主義における基本的な権利である選挙権(15条)や請願権(16条)を侵害する。市場経済(資本主義)であれば、より経済力のある者が多くの選択肢を持ち、欲しい物を手に入れることは許されるどころか、推奨される行為である。資本を持つか持たないか、どれほどの影響力を持つのか、といったことは個人が自由に選ぶことができるのだ。しかし、民主主義においては、社会の様々な側面に影響を与える国家運営に対して、原則として全ての者が平等に、言論によって主張を行う権利を持つことが重要なのである。その意味で、民主主義と資本主義は、権利を基礎とする点などにおいて共通するが、自由や平等といった理念のバランスにおいて激しく対立する点がある。このように、民主主義の理念と資本主義の理念は、根本的に対立する部分を持つが、資本主義の理念が民主主義の理念を侵食する現状は、民主主義を機能不全に陥らせるため、許容することはできない。

 また、団体はそもそも政治献金を行うことが許されるのか、という点を指摘したい。何かしらの団体が組織されるのは、その構成員が共通した何かしらの目的を持っているからである。例えば、株式会社の目的は、株式会社設立時に作成される「定款所定の目的」であるとされる。企業による政治献金が問題となった八幡製鉄事件最高裁判決では、「その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為(9)」であれば、定款所定の目的に整合するとされた。政治献金は、政治家や政党に対して金銭によって働きかけることにより、自社に有利な政治状況を作り出すことが目的であり、それが手段として有効であることは、経験的に証明されているので、目的を遂行するうえで間接的に必要な行為と言えるだろう。しかし、その政治献金という利益追求の手段は、公序良俗に反する行為なので、倫理的に許されない。株式会社などの団体は、社会において個々人が利益追求などの目的を円滑に行うための概念的道具に過ぎないのである。よって、その存在意義は、公序良俗や公共の福祉といったものにかなうからこそ認められるものなので、公序良俗に反するのであれば、その団体が自由に行動できるとは言えない。株式会社などの営利法人であっても、公正な市場において利益追求を行うことで、最終的に個人の利益に繋がるからこそ存在するのである。そういった概念的道具でしかない団体が、市場などの社会的制度の設計・運営を行う立場にある政党もしくは政治家へ政治献金を行うことで自らの利益を追求することは、健全な社会の制度を歪ませるのであり、結果として公共の福祉に反する行為である。よって、団体が政治献金によって利益追求などの目的遂行を目指すことは許容されない。

 そして、以上のような議論は、政治資金規正法に抜け穴がないと前提し、憲法学的な視点に基づいていた。しかし、「問題性」の冒頭で触れたように、政治資金規正法には様々な抜け穴が用意されている。こういった抜け穴を国会内外の者が組織的に利用すれば、公的権力の私的利用は容易に行えるだろう。公費は、国民が福利を得るために、国民自身が納める納税によって賄われている。現状の法制度は、こういった民主主義の根幹にある思想すらも貫徹できないほどの不備があるのだ。政治活動のために、異常なまでの費用が必要な制度など、政治システム全体を視野に入れつつ、適切な法改正が必要だ。


参考文献

(1)総務省「政治資金規正法のあらまし」https://www.soumu.go.jp/main_content/000174716.pdf

(2)吉田健一「平成初期における「政治改革」期の研究―竹下内閣から細川内閣まで―」『鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要』3巻、2012年、273 - 298頁。
https://ir.kagoshima-u.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8019&item_no=1&page_id=13&block_id=21

(3)浜島書店「最新図解政経」2020年、127頁。

(4)供託金違憲訴訟弁護士団「OECD 加盟国の選挙供託金制度について」http://greens.gr.jp/uploads/2017/10/170726OECD.pdf

(5)NHKアーカイブス「リクルート事件 政財界に波及」(最終閲覧:2023年2月5日)
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030218_00000

(6)東京新聞「安倍元首相の元秘書、違法性を当初から認識 『桜を見る会』夕食会補填問題で供述 本紙請求に開示」(最終閲覧:2023年2月5日)https://www.tokyo-np.co.jp/article/173889?rct=sakura

(7)しんぶん赤旗「『桜を見る会』招待者名簿『廃棄1年未満ありえぬ』元担当官僚が本紙に証言」(最終閲覧:2023年2月5日)https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-11-16/2019111615_01_1.html

(8)共同通信ニュース「政党収入、交付金が6割=税金依存変わらず―政治資金」(最終閲覧:2023年2月5日)
https://sp.m.jiji.com/article/show/2855910

(9)八幡製鉄事件 最判昭和45年6月24日民集24巻6号625頁。https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/040/055040_hanrei.pdf


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