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べき思考と多様性は相反する

皆さんこんにちは、しまさです。

私は昔から、常識とは何かは分かっていても、それにとらわれて生きるのが嫌な性格でした。例えば、以下の様なものです。

  • 友達はたくさん作るべきだ

  • 社会人が満員電車に耐えるのは当たり前だ

  • 結婚した方が良い人生に決まっている

こういった固定の価値観にとらわれた「べき思考」の人は、昭和の時代には多くいたかもしれません。しかし、時代は令和です。多様性が尊重される時代に変わってきています。

そして、多様性の時代では、べき思考の人たちは逆に生きずらくなるのではと私は思います。なぜなら、べき思考では自身の価値観以外を尊重できませんから。多様性とべき思考はかなり相性が悪いです。

そもそも、べき思考の考え方はとても窮屈で、多様性とは関係なくとても生きづらいように感じます。そこで今回は、べき思考と多様性について、私が考えることをお話ししていきます。


べき思考を誰に使うか

べき思考は他人に対してではなく、自分に使われる場面もあります。むしろ、自分に使っているから他人にも使えると言えます。自分が思ってないことを人には言えないですから。

自分に対して使う場合

まず、自分に対して使う場合です。私は、自分に対して使う場合は、基本的に問題ないと考えています。なぜなら、その人がどういう価値観で生きようと、その人の自由だからです。

もちろん、窮屈だとは感じます。特に、自分と相性の悪い価値観にとらわれていたら、それは生き地獄です。1人が好きなのにも関わらず、友達が多いことや結婚を当たり前に考えてしまうのは、とても残酷なことです。

ですが、あくまで自身に向けられたべき思考であれば個人の自由ですし、特に何も言うことがありません。言ったところでべき思考なので、何も言わない方が良いことにも思います。多様性ということで、自身へのべき思考は尊重しましょう。

他人に対して使う場合

次に、他人に対して使う場合です。問題が発生しそうなのはこちらの方です。なぜなら、他人に対し使うべき思考は、言い換えると強要だからです。

他人に対し使うべき思考は、他人の価値観を尊重せず、自分の価値観を押し付けてその通りにさせようとしています。もしかしたら、それは善意なのかもしれません。しかし、強要では相手の価値観を尊重しているとはとても言えません。

他人に対するべき思考は多様性と相反する考え方です。そのため、べき思考を使うにしても、他人ではなく自分に向けてのみ使った方が良いと考えます。

強要ではなく共有を

べき思考であっても、時には自分の価値観を伝えたいのが人間です。そんな時は、強要ではなく共有になるようにすれば問題ないと考えます。

前提条件を指定する

ではどのように強要ではなく、共有を実現するのでしょうか。私は、前提条件をしっかり提示できていれば、強要にはならないと思います。例えば、以下のようなものです。

  • 虫歯になりたくないなら、毎日歯を磨くべきだ

  • あくまで私の意見ですが、やらないべきだ

  • あなたがしたいのなら、やるべきだ

読点(、)の前までの文が前提条件です。人によって感じ方は違うかもしれませんが、強要しているようには感じないのではないでしょうか? 少なくとも、私は強要ではなく共有しているように感じます。私が、「前提条件を整える=相手に立場で考える」と考えているからかもしれません。

前提条件を指定していれば、相手がその条件に当てはならない場合、~べきは当てはまりません。そのため、相手にも行動の選択権があり、強要ではなくなるのではないかと思います。

「多様性を尊重すべき」というべき思考

これは、べき思考が悪いのではなく、べき思考になっている思考内容がそもそもの問題になっているという仮説です。

もしそうなのであれば、かなりの理想論にもなりますが、「多様性を尊重すべき」というべき思考というのは有効になるのではないでしょうか。その名の通り、多様性にとてもマッチしたべき思考ですから。

「多様性を尊重すべき」と考えている時点で、相手の価値観も尊重できます。そのため、前述した内容と矛盾はしますが、このべき思考で強要が発生することはない気がします。

あくまで仮説であり理想論ですが、あってもよいべき思考も存在するのかもしれません。

まとめ

他人に対するべき思考は強要になり得ます。するにしても自分の中にとどめて、多様性を尊重することが大事だと考えます。

以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました。

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